INTERVIEW

シャルキュトリをもっと身近に感じてほしい。未開の食分野を切り開いていく喜び。

オーボンヴュータン シャルキュティエ
河田 力也さん

profile.

東京都出身。高校卒業後、北海道での酪農体験を経て、エコール 辻 東京 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ入学。2002年に卒業後、「ビストロ パラザ」で4年半勤務。その後、渡仏。リヨン、パリ、バスク地方で本場のシャルキュトリを学び、帰国。2015年、洋菓子界のレジェンドと評される父、河田勝彦氏の経営する『オーボンヴュータン』の移転リニューアルオープンと同時に、シャルキュティエとして入店。現在に至る。

日本人にも“シャルキュトリ”の魅力をもっと知ってほしい。

“シャルキュティエ”をご存じだろうか。“シャルキュトリ”といわれる、主に豚肉を原材料とした、ハム、ソーセージ、パテ、テリーヌなどをつくる「食肉加工職人」のことだ。
「少しずつですが、シャルキュトリのリピーターの方も増えてきました。美味しい食べ方についてお客様に知っていただきたくて、パンフレットも作ったんです。シャルキュトリの魅力を広く伝えていくために、もっといろいろやっていきたいと思っています。まだまだ、知られていない存在だからこそできることがいっぱいあって、それがすごく面白い、好奇心や想像力を掻き立てられますね」
オーボンヴュータン 尾山台店
伝統的フランス菓子の名店として知られる『オーボンヴュータン』は、3年前の移転リニューアルオープンを機に、新たにシャルキュトリの販売を始めた。美しい宝飾品のようなフランス菓子に負けず劣らず、手間暇かけてつくられたシャルキュトリがショーケースに並ぶ。
シャルキュトリのショーウインドウ

父は日本におけるフランス伝統菓子の第一人者である中、当初は進路への意識ははっきりしていなかった。

河田さんのお父様は、洋菓子界では知らない者はないという『オーボンヴュータン』オーナーシェフの河田勝彦さん。1966年に渡仏、パリを中心に修行し、「ヒルトン・ホテル・ド・パリ」のシェフ・ド・パティシエを務めた。帰国後、1981年に『オーボンヴュータン』開店。2012年には「現代の名工」として厚生労働大臣から表彰された。お兄様の薫さんもパティシエで、河田家は「食」一家だ。ご自身が「食業」に携わるにあたり、ご家族の影響はどれくらいあったのだろうか。
オーボンヴュータン 尾山台店  (オーボンヴュータン様のホームページから拝借しております)
「進路を考える上でも、家業についてはそれほど意識していませんでした。父からは『何をやってもいいけれど、手に職付けた方がいいよ』と言われ、高校卒業後約8か月間、北海道の厚岸の牧場に行き、住み込みで酪農体験をしたんです。家族も友達もいない見知らぬ土地で、毎日毎日、仕事して自分と向き合ううちに、やっぱり『食』に関わっていきたいという思いが深まっていきました」
厚岸で「食」の道に進むことを決め、帰京後、父からの後押しもあったエコール 辻 東京に入学。同じ思いを持った仲間と食への情熱を育みつつ、しっかりと基礎を身につけた。
オーボンヴュータン尾山台店

3年は絶対に続けようと覚悟して最初の店へ。

卒業後、都内のフランス料理店『ビストロ パラザ』へ。クラシックなフレンチを提供するお店で、河田さんにとってシャルキュトリを知るきっかけとなる。
「ここで3年は絶対に続けようと思いました。1年目で春夏秋冬ひと通り経験できるので、2年目からは流れがわかった上で仕事ができるようになります。3年居たら仕事にも慣れてきますし、辛いことがあっても自分の中で消化できるようになると、そう信じて自分に言い聞かせて、がんばろうと決めて入店しました」
 
オーボンヴュータンのソーセージ
最初の店「ビストロ・パラザ」には、オーナーの酒井一之シェフにも怒られつつも可愛がられ、4年半務めることになる。15年以上たった今でも初日のことは、はっきり覚えているという。
「最初サービスだったんですけど、とにかく緊張の連続で、帰宅後はごはんも食べられないくらいくたくたでした。これを本当に一生やっていけるのかと…でも、3年は続けようと決心していたので前を向こうと頑張りました」
現実世界の厳しさを実感したという河田さんは、そんな毎日の中で「乗り越えられそうだ」と思えるきっかけはあったのだろうか。
「“慣れる”ことと、“責任感”ですね。経験を積めば積むほど、どんどん新しい仕事を任されるようになります。後輩に教える立場になると、今までと同じじゃダメだと自覚するようになりました。自分の成長を実感できたことも大きかったですね」
フランス・バスク時代

フランスへ渡り、本場のシャルキュトリを学ぶ。

初めての店で4年半働き、次のステップとして海外で学ぶことを決意。イタリアへ渡り、北上してフランスのニース、リヨンを巡った。その土地ならではの食文化に触れるうちに、シャルキュトリに更に深く興味を持つようになっていく。
「最初に働いた店でシャルキュトリについては知っていましたが、もっと掘り下げて学びたいという思いが強くなりました。その当時、日本ではまだシャルキュトリについて教えてくれる人はほとんどいませんでしたので、本場フランスで学ぼうと思ったんです」
オーボンヴュータン シャルキュトリのパンフレット
「本場のお店で感じたことですが、シャルキュトリは素材の選択から加工の仕方で、店ごとにとても個性的なんですね。ファンになっていただけたお客様との関係が深まるということも大きな魅力です。現在の日本での人気の理由も、自然派ワインやクラフトビールなどを提供するお店も増え、シャルキュトリはそういったものにすごく相性が良い。お客様それぞれがこだわりをもって、自身の好みに合ったものを求める気持ちが高まってきていることも、これからのシャルキュトリの可能性の高さを強く感じることにつながっています」
オーブンに入れる前のテリーヌ 容器はオーボンヴュータンオリジナルの陶器
“シャルキュティエでいく”という思いを固め、リヨンで1年、一時帰国を経て、パリに4年暮らした。
「最初、正直すぐ帰りたくなりましたね(笑)。言葉も分からないですし、不安で不安で。でも、なんとか周りの助けもあり、シャルキュティエの仕事を紹介してもらい、徐々に街にも慣れていきました。パリでは語学学校に通いながらシャルキュティエとして過ごし、働いていたビストロのオーナーシェフの紹介で、シャルキュトリが有名なバスク地方にも行く機会に恵まれました。フランスとスペイン両方の文化が混ざり合った独特なバスクという土地で出会った味は、その後のシャルキュティエとしての僕に大きな影響を与えてくれています」
焼きあがったテリーヌ・アマッチ
日々の仕事をこなす中で、シャルキュティエという職をもっと極めたいという気持ちが強くなったいう。
「東京は世界でもレストランの数が多い街なので、自分なりのスタイルでやっていこうという戦略をたてました。自分にしかできない個性的な切り口で店をつくれば、勝ち目があると考えたんです」

日本人が好意的に受け入れられるのは、先輩たちが築きあげてきた努力のおかげ。

フランス料理の中でも特にクラシックで伝統的な「パテ・アン・クルート」。味はもちろん、切った断面の美しさを競う世界選手権で、日本人も頭角をあらわしてきているという。河田さんもアジア大会決勝まで進んだ。
「繊細な作業は、日本人の感性にあっているんですね。日本人とフランス人は味覚が似ているようにも感じます。美味しいものが大好きで、食に対しての意識が高い。フランスでは『日本人=真面目』。信頼されて受け入れられていますが、それは何世代も前から先輩たちが頑張って築き上げてきてくれたものなんです」
パテ・アン・クルート
シャルキュティエの先輩で河田さんが尊敬するひとりとして、芦屋に店舗を構える『メツゲライクスダ』の楠田裕彦さんの名前があがった。シャルキュトリを広めたいという思いを共有し、夢を語り合うことが出来る人でもあるという。
「楠田さんと先日も電話してたんですけど、『初めて会ったのはいつやった?』て聞かれて、もうパリで会ってから8年になるのかと、お互いあっという間だなと感じました」
フランクに話ができる楠田さんは、河田さんを時に支え、共に歩いて行ける存在のようだ。
オーボンヴュータン 尾山台店 菓子厨房

まずは続けること。最初は大変な仕事でも、それに勝るよろこびが必ずある。

「僕も、働き始めて1年目、2年目は、自分で選んだ進路に確信が持てず『本当にこれでいいのか』と迷う日もありました。それでも、3年、4年と続けるにつれ自信が持てるようになっていくんですね。社会人としての自覚が芽生え、自分で決めたことに対して責任を果たすということを徐々に学んでいったのだと思います。最初は仕事がおぼつかなくても、きちんと挨拶する、元気に返事するなどの当たり前のことがちゃんとできる人であれば、仲間のサポートもあります。地道に続けていれば、いつか道は拓けると僕は考えているので、これから「食業」へ進もうとしている人たちにも、自分の力と可能性を信じて頑張ってほしいですね」

シャルキュトリを広めるために後継者を育て、「これから」を切り開いていく。

「シャルキュトリの普及のために、シャルキュトリ協会からの依頼で講習会をやったり、今後は、他のレストランと組んだイベント等も計画しています。スタッフの中にはFacebookやInstagramで発信している人もいますね。日本ではまだシャルキュティエの数自体が少ないですが、フランスでは女性のシャルキュティエも活躍しています。これからは、男女問わず充分可能性がある職業だと思いますよ」
繊細さとセンスが要求される手仕事は、女性の職域の広がりにも期待できそうだ。
オーボンヴュータンのシャルキュトリ
「以前、フランスのシャルキュトリ協会の会長が来日した時にこんなことを言っていました。『日本は昔、フレンチレストランも、洋菓子屋もなく、ワインも、チョコレートも口にしなかった。今はそれら全てがあり、しかも世界的に見てもレベルが高い。シャルキュトリが広がっていく土壌はあるのだから、君たちが開拓者になってどんどん広めていってほしい』その言葉どおり、シャルキュトリが日本の食卓を今よりもっと豊かにできる日が来るように、もっともっと尽力していきたいですね。ヨーロッパでは、“総菜屋さん”的な存在なんですよ、普段使いしてもらえるようにまで広めていければと思っています」
トマト ファルシー
シャルキュティエは、日本においては「これから」の職業。非常に大きな可能性を秘めている。ひとりひとりの丁寧な手仕事が、食卓を囲む人々の笑顔に繋がるという喜びは、格別に違いない。
未来への道筋をつくっていくための、河田さんの挑戦は続く。
父でありオーナーシェフの河田勝彦さんと

河田 力也さんの卒業校

エコール 辻 東京 辻フランス・イタリア料理マスターカレッジ launch