INTERVIEW
No.121

京都の老舗で日本料理の基盤を固め、美食家たちが通う温泉旅館の料理長に。湯河原の豊かな自然が創造力をかき立ててくれる。

石葉 料理長

加瀬康之さん

profile.
埼玉県出身。叡明高等学校からエコール 辻󠄀 東京 辻󠄀日本料理マスターカレッジに進学。2002年に卒業後、京都・西陣の日本料理店『萬亀樓』に就職。約5年間の修業を積み、祇園、天橋立のフランス料理店を経て、神奈川・湯河原町の料理旅館『石葉』へ。その後、東京・銀座の割烹『銀座あさみ』で1年間学び、副料理長として再び『石葉』へ。2014年の秋から料理長を務める。
access_time 2020.09.25

料理は、視覚や触覚、嗅覚も含めた、五感で楽しめるアートでもある。

相模湾と箱根の山々に囲まれた、神奈川県の湯河原町。歴史ある温泉街の山中に佇む別荘を改築し、古き良き日本の風情を洗練された空間に昇華させたのが料理旅館『石葉』だ。季節の香り漂う日本料理が楽しめる宿として、美食家たちからも絶大な支持を集めている。料理長を務めるのは、加瀬康之さん。
「料理人は、職人でありながらアーティストでもあります。だけど美術や音楽と違って、視覚や触覚、嗅覚も含めた、五感で楽しめるのが料理です。このあたりは山なので、お料理に添える草花もすぐ採りに行けるんですよ。季節を感じることが、献立考える表現の手段にもなる。風の匂いを感じ、春なら黄色い花、夏なら白い花など、何が咲いているかを感じることで、料理のイメージがわいてきます。海も近いですし、日本の四季を料理に活かすには、理想的な環境でした」

創作和食の料理人に憧れて日本料理の道へ。一番をとるのが夢だった。

埼玉県の旧浦和市(現在のさいたま市)で、共働きの家庭に育った加瀬さん。小学生の頃、午後に授業のなかった土曜の昼食をつくるようになったのが、料理にふれた始まりだった。次第に面白くなり、せっかく食べるならおいしいものをと工夫するようになった。
「家にあるもので適当につくっていたんですが、家族にも『おいしい』と言ってもらえたのがうれしくて。ちょうど『料理の鉄人』というテレビ番組が流行っていた頃だったので、“和の鉄人”として出演されていた道場六三郎さんの創作和食に憧れていたんですよね」
高校に入り、いざ進路を決める頃になると、好きだったバイクの道と迷いが生じた。
「レースのメカニックになりたかったんですよ。だけど、どの道でもやるからにはその世界で一番をとりたい、という気持ちがわいてきて…。一番をとるならやっぱり料理の世界が良いかなと思い、調理師学校を選択。当時は銀座で店を開くのが最高だと思ってましたから、それが夢だったんですね」

まずは日本料理の基本を身につけたいと考え、進学先を決めた。

まずは日本料理の基本を身につけようと、エコール 辻󠄀 東京の辻󠄀日本料理マスターカレッジに進学。実家から通え、日本料理だけを深く濃く学べることに惹かれ、即決した。
「実践が多かったのが何より良かったです。それに日本料理の場合、日本文化も大切な要素。お茶やお花、書道に加え、飾り細工などをつくる実習もあり、その奥深さを知れました。学んだ調理技術は家で必死に練習していた記憶があります。楽しかったですし、やらなきゃ仕事にならないだろうと思っていましたし…好きな女の子の前でかっこつけたかったですし。その相手が妻なんですけどね。(笑)今でも献立などに悩んだときには相談しています。同業者目線で客観的に助言をしてくれるから、とても頼もしいですよ」
エコール 辻󠄀 東京時代(右上が加瀬さん)
就職先を決めたのは、同級生のなかでも早めだった7月。入学式で知った京都・西陣の老舗『萬亀樓』を志望し、内定を獲得した。
式庖丁(辻󠄀調グループ合同入学式より)
「平安時代から受け継がれてきた式庖丁(食材に直接手を触れず、魚などをさばく、おめでたい日に行われてきた食の儀式)を披露されたんですよ。まずは日本料理の基本を身につけたいと考えていたので、京都で働こうとは決めていたんですが、由緒正しく歴史ある『萬亀樓』なら間違いないなと。実際、食べに行くと、料理はもちろんその雰囲気にも圧倒され、ますます心惹かれました」
『萬亀樓』時代

毎日同じものの味見をしていれば、繊細な違いもわかるようになる。

卒業後、京都に移住し、『萬亀樓』での修業をスタート。覚悟はしていたが、慣れるまでは大変だった。
「後輩が入ってくるまでの3年間は結構きつかったです。ただ、仕事では厳しい先輩方も、オフの時間は優しくて。『最終的に煮方(煮物担当)までやれば、どこでもやっていける』と教えてもらえていたので、それを目標に頑張りました」
『萬亀樓』時代
1年間の下積みを経て、2~3年目は八寸場(盛りつけなど)を担当。4年目は焼き場(焼き物など)を経験し、5年目には板場(刺身など)へと移った。
「板を1カ月ほどやった頃、たまたま煮方の先輩がお休みだったので、若主人が『やってみろ』と言ってくださって。すべて一発で当たりをつけたので、そこから煮方を任せてもらえるようになりました。焼き場にいた頃に、煮方で何をやっているか、全部メモしていたんですよね」
「味覚に自信がなかったので、八寸場のときも、炊いたものを全部飲んでいました。お昼のお弁当は入っているものがほぼ同じだったので、毎日飲んでいれば繊細な違いもわかるようになるだろうと。その積み重ねが活きました。“できて当然”のレベルにならなければ、次のポジションには上がれない。自分の持ち場を早めに終え、別の持ち場の先輩の手伝いをして覚えるよう意識していました」

創作のために学んだフランス料理の技法は、今でも活用できている。

およそ5年間の修業で目標を達成し、その後はなんと、京都・祇園のフランス料理店へと転職する。
「創作和食をめざしていたので、基盤ができたらフランス料理の基礎も学ぼうと考えたんです。すごいなと思ったのは食材そのものを活かすのがうまい点。和食は茹でて氷水に落としてから出汁を含ませることが多いんですが、フランス料理では、氷水で冷ますのではなく、直接氷と和えて冷まして水溶性のビタミンを逃がさないようにしていたり。そういった技法は、今でも活用しています」
約1カ月後には、日本三景の一つ、天橋立の近くにあった系列のフランス料理店へ。そのときに、地方の良さを知ったという。
「人が多いところより性に合っている気がしたんですよ。おいしい食材もたくさんありましたし。季節感を肌で覚えられるのも喜びでした」

視野が広がると同時に、地方への憧れが募った銀座の割烹での経験。

短い期間ではあったが、新たな知見を得るには充分だった。その次の職場こそが、現在料理長を務める『石葉』だった。
「『萬亀樓』の先輩が『石葉』の料理長に就いたばかりで、二番手がいないからしばらく手伝ってくれと。それで2008年から1年間サポートをしたんですが、素晴らしい環境に魅了されました。その後、一度は働こうと考えていた銀座へ行ってみたものの、心はもう地方に惹かれていたので、三つ立てた目標を達成したら辞めようと決めていました」
一つめは、カウンターのあるお店で客前に立つこと。二つめは、当時市場のあった築地で仕入れを行うこと。三つめは、お店に自分がいた軌跡を残すこと。そんな志をもって、割烹『銀座あさみ』での1年間を過ごした。
「三つめは細かいことですけどね。まかないで喜んでもらったり、お漬け物を新しくしたりと、少しは貢献できたかなって。なかでも貴重な体験だったのが接客。経験値の高いお客様とお話すると視野も広がりますし、勉強になりました。ただ、やはり自分は自然に囲まれて仕事がしたいなと改めて実感。地方への憧れが募るばかりでした」

料理長に就任後もミシュラン二つ星を獲得。日本料理の高みをめざす。

銀座での修業中、『石葉』のオーナーから副料理長として戻ってこないかという打診があり、再び湯河原へ。新たな料理長を支えていたところ、翌年から湯河原が日本版ミシュランガイドの対象エリアとなり、『石葉』は稀少な二つ星を獲得した。そして2014年の秋には料理長に就任。
「料理長がやむを得ない事情で急に辞められたため、調理場が僕と若いスタッフの2人だけになってしまったんですよ。味つけのほとんどは自分が担っていたものの、次の年も二つ星をとっていたので、落としてはいけないというプレッシャーがありました。結果は維持。ほっとしましたよ。その頃にはもう、創作和食ではなく日本料理の真髄を突き詰めたくなっていて…。古き良きものを守りつつ、いかにぶれずに新しいものを取り入れていくかがテーマになっていました」
フランス料理の技法を取り入れるなど、変化させるべきところはさせていこうというのが加瀬さんのスタンスだ。さらに旅館ならではの心がけも多い。
「お客様が温泉に入ってお化粧も落とされ、浴衣を着てリラックスした状態で召し上がるのが、料理屋との大きな違いです。そのため適度な緩さも大切。とはいえ、度が過ぎると本流から外れてしまうので、居心地のいい緊張感を意識しています」

「まるでオペラを聴いているようだ」と評された、美しい献立の流れ。

小さなお子様やヴィーガン、アレルギーや宗教的なご要望をもたれる方にも対応。朝と夜、1日の献立をどう演出するべきかにも心を配っている。
初春(桃の節句)の肴盗
「そのあたりにも料理屋と違った難しさがあります。基本の献立は月替わりですが、連泊のお客様も少なくありません。2日間の雰囲気も変えないといけないですし、たとえばお漬け物は3種類お出しするんですが、朝と夜、連泊になると12種類も用意する必要がある。今週も、先週連泊された方が、また連泊でいらっしゃいましたからね。旅館は引き出しが多くないと対応できません。大変ではありますが、成長の喜びも味わえます」
晩秋の肴盗
献立を考えるとき、最も意識しているのは、コース全体の流れ。日本料理にはメインディッシュがないため、その時々によって盛り上げる箇所も変えるのだという。
「音楽のように、静かに始まって、サビがあって、また静かになる…といった構成を、どう組み立てるかが難しくも、面白い部分です。とあるお客様が『まるでオペラを聴いているようだ』と褒めてくださったことがあって。喜んでいただけたのはもちろん、自分の意図に気づいていただけたことにも感激しました」
鰆・湯河原クレソンの鍋仕立て
「『石葉』のお客様は、良いものを見極める厳しい目をもった方々ばかり。数々の名店に通われている方たちからご評価いただけると、やはりうれしいですし、常にモチベーションを高くもっていられるのも大きな魅力です」
鴨ロースト、蕗のとう添え

日本料理の世界には、お金には換えられない価値と喜びが多くある。

コロナ禍を受けて、2020年にはテイクアウトのお弁当を展開。料亭らしい松花堂弁当のようなものかと思いきや、焼き鮭をメインとする海苔弁当を打ちだした。
石葉の『海苔弁当』 米はミルキークイーン、極上有明産海苔、炭火でじっくり焼き上げた鮭、宿泊客の朝食として定番の厚焼き玉子、おひたしなどの副菜からなる贅沢な「海苔弁」
「懐かしい昭和の定番みたいなお弁当を、『石葉』ならではのものとしてお届けしたかったんです。一歩間違えれば家庭でもできるじゃないかと思われる品でご満足いただくには、洗練された圧倒的な“何か”が必要なはず。その“何か”とは、料理の緊張感であったり、仕事の丁寧さであったり…言葉にはしづらいんですが、経験を積んだうえでしか出せないものではあるはず。そこをお客様にわかっていただけるのも、やりがいがあります」
近海の海の幸と地元の野菜を中心に据えつつ、良い食材を見つければ遠方までも訪問。今後はより生産者との交流を増やし、食材選びに力を入れたいという。さらにはお店の拡大をめざし、人材育成にも注力。2019年度からは新卒採用も始め、母校にも顔を出すようになった。「日本料理を志す後進が増えるとうれしい」と加瀬さんは語る。
「最初のステップは確かに厳しいと思います。そこから早く抜け出すには、早く覚えるしかない。私自身、そう考え努力を重ねてきました。実力世界なので、やればやるだけ、いくらでもできるようになるのも楽しいです。大変だというイメージも強いと思いますが、日本料理の世界には、お金には換えられない価値と喜びがたくさんあります。是非チャレンジしてほしいと思いますね」

加瀬康之さんの卒業校

エコール 辻󠄀 東京 日本料理マスターカレッジ launch

エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀日本料理マスターカレッジ

日本料理の奥深さに触れながら、
1年間で徹底的に本物の技術を学びとる。

1年間、日本料理だけを徹底的に。本物と一流にこだわった環境で、
日本料理の奥深さやおもてなしの心を会得する。
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