No.070
祖父母が営む別府の温泉宿で料理を振る舞いたい。そんな想いから辿り着いた世界最高峰のフレンチを、将来は愛する故郷で応用させたい。
ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション
吉富匡平さん
profile.
大分県出身。辻󠄀調理師専門学校 調理技術マネジメント学科を2012年に卒業後、東京・恵比寿の二つ星レストラン『ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション』に就職。修業を重ねた8年目の現在は、冷たい前菜部門のトップを務めている。
access_time 2018.08.17
温泉宿で料理をする祖母の姿に惹かれ、早く料理が学びたかった。
「地元が大分県別府市で、祖父母らが温泉旅館を経営していたんですよ。両親は公務員で共働きだったから、小学校から帰ると旅館で過ごし、夕食もそこで。食べるのが大好きでしたし、祖母が料理をする姿にも惹かれていて、いつしか『将来ここで料理をつくりたいな』と思うようになっていました」
御祖父母と
その想いは中学時代も変わらなかった。高校へ入る頃には、卒業後、専門学校へ進むことを決めていた。
「ただ進学校だったから、みんなとは話が合わなかったですね(苦笑)。周りは大学へ行くことが目標になっていて、将来何かになりたい、と言っている人もいなかったし。早く料理を勉強したいなとばかり考えていました」
高校2年になると、各地域にある調理師学校のオープンキャンパスへ行くようになった。
「地元に近い福岡と、大都市の大阪と、和食なら京都かなっていうのとで3エリアから絞ろうと思っていたんですが、行ってみて一番気になったのが大阪の辻󠄀調(辻󠄀調理師専門学校)でした。生まれて初めて北京ダックを食べましたし(笑)、伊勢海老を使った料理にも圧倒されて…。オープンキャンパス2回に加え、通常の授業風景も見学させてもらい、調理実習の空気も良くて楽しそうだったので進学を決めました」
辻󠄀調理師専門学校時代
三つ星を保ち続ける『ジョエル・ロブション』でプロの技に痺れた。
和洋中のすべてを学ぶなか、美しさやかっこよさに惹かれ、フランス料理の道に進むことを決めた。進路を決めるにあたり、2年目の夏休みに上京し、恵比寿ガーデンプレイスにある三つ星レストラン『ジョエル・ロブション』へ。
「就職先を探す際、東京のこともあまりわかっていなかったので、辻󠄀調の卒業生が活躍されている職場を重点的に見ていたんですよ。それで当時、『ジョエル・ロブション』が目に留まって」
「本格的なフレンチをやりたかったから、フランス人の名前がついたレストランへの憧れは特に強くありました。それで行ってみたんですが、正直、ほとんど圧倒されて記憶にないぐらい(笑)。ただただおいしくて、非日常的な特別感がすごくて…。サービスも世界コンクールで優勝された方だったので、すべてがもう異次元。家庭料理とは一線を画したプロの技が、お皿の上に表現されている部分にも痺れました」
ロブションをめざし、『調理技術コンクール』の全国大会で入賞。
ロブションに入りたい。その想いから、夏休みが明けると調理師養成施設を対象とした『調理技術コンクール』の学内予選にチャレンジすることにした。
「僕の1年前に入社した先輩が突破していたので、ロブションに入るにはそれぐらいの技術ややる気が必要なのかなと。努力のかいがあって、和洋中で3人ずつ選ばれる学内予選の洋食部門で通り、近畿大会へ進むことになりました」
練習はとても大変だった。終われば入学当初から続けていたフランス料理店でのアルバイトに急ぐ日々が続いたという。
「3人の先生が指導についてくださり、密度の濃い練習が積めました。厳しかったけど面白かったですよ。各部門上位10名が本選の全国大会に行けるんですが、結果、辻󠄀調生9人全員が進出し、全員が賞をとったんですよね」
コンクール出場者全員で授賞
「僕も国際観光日本レストラン協会会長賞をいただいたんですが、現在『一汁二菜うえの』で料理長を務めている出島光さんなんて、全部門のなかの最高賞、内閣総理大臣賞をもらってましたからね。仲間の存在も大きな刺激になりました。挑戦するにあたり自分でも納得できるほど練習を重ねたんで、料理の基礎技術が高まり、自信にもつながりました」
国際観光日本レストラン協会会長賞
フランス料理界の最高峰、ロブション・グループは倍率の高い狭き門だったが、学校に志望を伝え、ロブション出身のシェフが特別講師として来校される際には毎回、挨拶の機会を設けてもらった。
「特別授業では、知らない食材や初めて見る複雑な調理法を目の当たりにし、感動の連続。料理って、ここまで突き詰められる奥深いものなのかと、ロブションへの情熱がいっそう高まり、ありのままの想いを伝え採用が決まりました」
ポジションが上がるにつれ、仕事がどんどん楽しくなっていった。
就職すると、『ジョエル・ロブション』と同じシャトーの1階にある二つ星レストラン『ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション』に着任。将来は地元で店を構えたいと考える吉富さんにとって、ロブションのフレンチをより身近に楽しめるラ ターブルでの修業はまさに理想的だった。1年目は、まかないや冷たい前菜の準備、2年目途中からは魚をおろす担当へ。その後、肉の付け合わせ、魚のソースを扱う部門へと異動していく。
「入って3年は辞めるつもりも皆無だったので、それほどしんどいと思いませんでした。辻󠄀調の先生たちが、授業中に実体験を織り交ぜて話してくれていたし、だいぶ覚悟して来られたおかげもあります(笑)。まかないも繁忙期には100人前ほど必要なので苦労しましたが、和洋中を学んだことが役立ちました。3~4年目頃からは少し上のポジションにも就かせてもらえるようになり、自分の思った通りに動かせるところも出てきたので、どんどん楽しくなってきました」
「おいしかった」という言葉で、料理に対しいっそう熱くなれる。
5年目には肉の焼き場に異動。そこから1年半ほど、メイン料理に携わることとなる。
「やはり肉を焼きたいという想いがずっとあったので、うれしかったですね。同時に、二つ星の料理のメインを担っている緊張感もありましたし、ずいぶん勉強になりました。『おいしかった』という反応をサービスから聞くと、自分のやっていることに対する結果が出たようで喜びもひとしお。料理に対しいっそう熱くなれた気がします」
その後は、冷たい前菜のトップに就任。シェフのサポートも行うようになる。
「今は店の売上や原価、シフトなど、料理の技術とは違う経営の部分も見られるようになり、難しくも面白いです。運営に関わることも、少しずつやらせてもらえてためになる。将来、独立したら必要な部分ですからね」
「自分で見つけた食材を提案したり、アミューズの料理を提案したりと、新たなやりがいも増えてきました。仕入れの部分に関わると、これだけ最高級の食材にこだわって料理ができるのは幸せなことだなと、改めて感じます。ロブションの看板を背負っている責任は相当なもの。その分、気持ちの入った料理ができています」
時間に余裕ができたことで、視野を広げる機会も増やせるように
ロブション・グループでは、早くから「働き方改革」に取り組み、労働時間の短縮を実施。それに伴い、自由な時間が格段に増えたという。
「とても働きやすい環境になり、ずいぶん生活が変わりました。時間に余裕がもてるようになった分、社内の違うお店へ研修に行かせてもらったり、食べ歩きに出かける回数を増やせたりと、視野を広げる機会も多くなってきています」
ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション フロア
「今までできていなかったフランス語の勉強も頑張っているところ。ロブションにはフランス帰りの先輩が結構いて、その人たちの話を聞くと本場で修業したいという気持ちが高まって。ワーキングホリデーのビザが申請できる30歳までには行きたいので、シェフと相談しているところです。フランスで学んだものを日本に持ち帰り、再現できるようになりたい。もっといろんな経験を重ねて、引き出しを増やしていきたいです」
サーモンマリネ カリフラワーをクスクスに見立て、黒ニンニクのピュレと紅芋のヴィネグレット
高齢者にも愛されるフレンチが、地域活性化の一助になればうれしい。
将来は地元でお店を開きたい。形は変わっても、祖父母が続けてきたものを守っていきたい。その目標は変わらず、持ちつづけている。
「温泉つきのレストランでもやれたらなと。祖父母は畑もやっていて、そこでとれた野菜を料理に使っているんですよね。それもいいなと思っていて」
活オマール海老 香味油でしっとり火を入れ 濃縮したスープ ド ポワッソンの“ジュ”
「近頃は九州の食材が注目を浴びていて、若手シェフの交流会でもよく使われているんですよ。大分県産のものでも、関あじや関さばなど、ブランド面の強さがあります。そういった地元産のものも、どんどん生かしていきたいです」
暮らしているときには気づかなかった、故郷の良さ。大阪や東京に出たことで、食材や温泉など、恵まれた環境のありがたさが身に沁みたという。
「地元は高齢者が多いから、フレンチはなじみにくいかもしれません。だけど近頃はフレンチでも野菜料理が目立ってきているので、野菜や魚を蒸したメニューを主体にするなど、親しまれる方法はいくらでもあると思います。別府は現在、地域活性化に力を入れているので、その一助になれればうれしいですね」
辻󠄀調理師専門学校
西洋・日本・中国料理を総合的に学ぶ
食の仕事にたずさわるさまざまな「食業人」を目指す専門学校。1年制、2年制の学科に加え、2016年からはより学びを深める3年制学科がスタート。世界各国の料理にふれ、味わいながら、自分の可能と目指す方向を見極める。
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