No.075
大好きなお菓子づくりをずっと続けるために焼き菓子専門店を開業。結婚・出産を経てもなお、製菓を楽しむ毎日に。
やきがしや SUSUCRE(シュシュクル) オーナーシェフ
下永恵美さん
profile.
千葉県出身。東京・自由学園の大学部2年課程を卒業後、エコール・キュリネール国立 辻󠄀製菓専門カレッジ(現・エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ)に進学。1995年に卒業し、東京のパティスリー『フレンチパウンドハウス』に就職。約4年間の経験を経て、パティスリー&カフェレストラン『ル・シャン・ド・ピエール』へ。約2年後、再び『フレンチパウンドハウス』に転職し、シェフとなる。その後、手づくりチョコレート専門店『テオブロマ』などを経て、2008年7月、世田谷区に焼き菓子専門店『シュシュクル』をオープン。2018年度現在、小学校1年生と幼稚園年中組、2人の子育てをしながらお店を切り盛りしている。
access_time 2018.10.12
多彩な焼き菓子が生みだせるのも、多様な経験を積んできたからこそ。
東京・三軒茶屋から少し離れた閑静な住宅街に2008年7月、オープンした焼き菓子専門店『シュシュクル』。周囲には街路樹が立ち並び、目の前には中学校の正門。その隣には保育園もある、自然と人の温もりにあふれる場所だ。
「当時、住んでいた初台から自転車で通える範囲で探したんですよ。全然知らない土地でしたが、天気や季節の移り変わり、登下校の活気が感じられるのがいいなと、見つけてすぐに決めました」
ドアを開けると焼き菓子の甘い香りがふわりと漂う。菓子店では珍しいオープンキッチンスタイルだ。
「外の景色やお客様の顔が見られる環境でつくりたくて、この形にしました。生菓子だとオープンキッチンでは許可が下りないので、実現できたのも焼き菓子を専門にしたからこそ。おかげでお客様に香りも届けられるし、選んでくださっている姿も見られます」
色とりどりの焼き菓子が50種以上。フランスの伝統菓子や可愛らしくアレンジされたお菓子など、見ているだけでうれしくなる品々が並ぶ。
「焼き菓子って茶系のものが多いですが、生菓子のケーキの箱を開いたときの感動も表現できたらなと、見た目のかわいさや季節感などが感じられる色や味を増やしていきました。お客様から『スミマセン、悩んじゃって…』なんて言われますが、どうぞどうぞと(笑)。迷っていただけるのがうれしいんですよね」
お店のイメージイラストを描いたのは、『ぐりとぐら』で有名な絵本作家の山脇百合子さん。普段使いしてもらえるよう通常は無駄のない簡易包装だが、特別なギフトには可愛らしいイラストが花を添える。評判が評判を呼び、すでにレシピ本を3冊も出す人気店になった。
「イラストのおかげもあり、雑誌で取り上げていただくことも多くありがたかったです。レシピ本は、書籍の企画をされている方がお客様としてご来店くださり実現しました」
焼きたての味が楽しめるよう、保存料は一切使っていない。材料はシンプルだが、食感に対するこだわりは強いという。
「食感の違いを出すために試行錯誤した結果、小麦粉や卵を使わず、上新粉を使ったりするものもあるんですが、アレルギーをもつお子さんも多いので、喜んでいただけています。こうやっていろんな種類を出せるのも、フランス菓子はもちろん、生菓子やチョコレートなど、さまざまな経験を積んできたからこそです」
同じ夢をもつ仲間とお菓子づくりに没頭し、毎日が楽しかった。
子どもの頃から、何かをつくることが好きだった。中学からは東京・東久留米市にある自由学園に千葉の実家から通学。卒業生だったお母さんに勧められたという。
「若いうちは広くいろんなことを体験し、そのなかからやりたいことを選びなさいという校風で、中学1年のときから当番制で給食をつくったり、野菜を育てたりと、面白い学校でした。料理や洋服をつくるのも楽しかったんですが、一番好きだったのが結局、母と一緒に楽しんでいたお菓子づくりだったんです」
さまざまな製菓学校を巡り、エコール・キュリネール国立 辻󠄀製菓専門カレッジ(現・エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ)を選択。体験入学に参加し、迷わず決めた。
「すでに短大を卒業していたこともあり1年制で探していたんですが、実習の多いところが良かったんですよね。知らないお菓子をいっぱい学べたり、同じ夢をもつ友だちと仲良くなれたり、毎日がとても楽しかったです。没頭しすぎて、置いてきた青春時代もあると思います(笑)」
入社早々から、独立したときに使えるノウハウを教えてもらえた。
卒業後は東京・巣鴨にあった『フレンチパウンドハウス』に就職。就職活動時、オーナーと話した雰囲気で即決した。
「オーナーとシェフが別のお店だったんですが、オーナーが『自分はお菓子を教えられないから』と、入社早々の時点で、原価計算や経費配分など独立したときに使えるノウハウを教えてもらいました。現場では、一緒に働いている人が何を求めているか考え、フォローするのが好きだったので、1年目から面白かったです」
“日本一おいしいショートケーキ”が食べられると有名になったお店での修業は、多忙だったが苦にならなかった。苦手だったメレンゲ菓子のダックワーズを習いに行くため、次の転職先となる『ル・シャン・ド・ピエール』へ研修にも行った。
「高校までメレンゲのお菓子は嫌いだったんですが、製菓学校で食べたものがおいしくて大好きになったんですよ。でも実務で一番苦戦したのもダックワーズで。シンプルだけどちょっとの違いで全然変わってきちゃうんです。だけど研修に行ってできるようになったので、次はここで働きたいなって」
4年間で一通り経験し、『ル・シャン・ド・ピエール』に転職。池尻の工場でお菓子をつくったり、四谷のアトリエにあるレストランでデザートをつくったり、さまざまな経験ができ楽しかった。
「だけど2年ほど経ち、シェフが辞めることになった頃、『フレンチパウンドハウス』からもシェフにならないかと誘われて…。どちらのシェフをやるかの選択だったんですが、前職のオーナーと自分が大人になってからもう一度仕事をしたいと思っていたので、戻ることにしました」
「つくり続けるには自分のお店をもつべきか」と、初めて独立を意識。
大きくはシェフに任してくれ、最後には助け船を出してくれる。そんなオーナーとの仕事はやりがいがあり、今でも尊敬しているという。しかし26歳の若さで任されたシェフのプレッシャーは相当なものだった。
「10人ほどのスタッフをまとめるのに、とにかく必死でした。ガムシャラすぎて、若いスタッフたちの気持ちが汲みとれないことも…。自分はお菓子をつくることが何より好きだったので、マネジメントなど、製菓そのものとは違う仕事を進めていく上での疑問も感じるようになったんです。つくり続けるには自分のお店をもつべきかなと、初めて独立を意識したのがその頃です」
ただ、大好きなお菓子をつくりたい。その想いからシェフを退き、手づくりチョコレート専門店『テオブロマ』へ。
「チョコレートが苦手だったので、克服したかったんですよね。すごく繊細に扱わないといけないと思っていたんですが、基本を押さえておけば応用が利くものだとわかり、今も勉強した理論が役立っています。だけど1年ほど過ぎた頃、自分のお菓子をつくりたいという気持ちが強くなってきちゃって…これがタイミングなんだろうなと独立開業を決めました」
結婚・出産を迎えても仕事が続けられるよう、焼き菓子に絞った。
開業資金として、まずは100万円を貯めようと、カフェやパン屋、レストランなどのアルバイトを1年間続け、目標を達成。周囲に助言を仰ぎながら準備を進め、焼き菓子専門店としてスタートした。「独立開業を諦める大きな理由が資金面でしょうが、やろうと思えばなんとかなるはず。私はいろんな人に相談したうえで準備し、最終的に銀行から900万ぐらい借りたものの、3年目に完済できました」
お店を始めて5年目に結婚。今では小学生と幼稚園児、2人のお母さんだ。
「ショートケーキで有名なお店にいたので、周りからは『なんで生菓子をやらないの?』って言われましたけど、すぐに没頭しちゃう仕事人間だから、何かに絞らないと、結婚・出産を迎えたとき中途半端になっちゃうなと思ったんですよ。当時は予定もなかったんですけどね(笑)」
絞るなかで焼き菓子を選んだのには、数々の理由がある。一番は、製菓学校時代、そのおいしさに衝撃を受けたフランスの伝統菓子に対する想いだった。
「普通のケーキ屋さんのショーケースの上にあっても、あまり見られないんですよね。フィナンシェやマドレーヌ、ダックワーズなんかは、コンビニとかでも売れるようになってきていますが、やっぱりちょっと違う。フロランタンやガレットもそうですが、ちゃんとおいしいものがあると伝えたかったんです」
エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジの小野達也先生(右側)
お菓子が好きでつくることが楽しいなら、続けられる道はきっとある。
「小さくてもいいから、自分のお店をもちたいと願う女の子たちにとって、貴重なモデルケースとなっている」。そう語るのは、エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジの小野達也先生。下永さんの同期にあたる。
「おんぶ紐でお子さん背負ってお店に立っていた姿に、本当にこの仕事が好きなんだなぁと、同期ながら感動しましたよ。生菓子やチョコレートなど、なんでもつくれる知識や技能がありながらも、結婚や出産を経ても輝き続けるため、敢えてジャンルを絞った。こういう方法もあるんだと、学生たちに紹介しています」(小野さん)
「どんなお菓子もベースはすべてフランス菓子で習ったことが入っている」と下永さん。学生時代の教科書は、今でも見直すことがあるという。
「『こうすれば、こうなる』ということわかっていれば、つくるのは誰でもできると思うんですよね。逆に言うと、そこに至るのが難しい。その基盤が築けたのは、学生時代だったと思います」
お菓子づくりは楽しい。かつての自分のように、そう感じてくれる子どもが増えたらうれしいと、小学生や幼稚園児を対象としたお菓子教室も開いている。今後の目標は、長く仕事を続けることだ。
「子どもたちが我慢している部分もあるでしょうが、最小限になるよう努めて、『お母さん頑張ってるな』と思ってもらえたらうれしいですね」
「これまで一度も、お菓子をつくり続けることに迷いはありませんでした。人と関わる部分での迷いや反省はありましたが、諦めたり辞めようと考えたりする自分はどこにもなかった。周囲の支えだったり環境の変化だったり、突破口は必ずあるはずです。続けられる道はきっとあるので、お菓子づくりが好きな人たちには、諦めずに突き進んでほしいですね」
エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀製菓マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校 東京)
お菓子をつくり、味わい、集中して製菓の基本と応用を学びとる。
多くのお菓子と出会うことで、
基礎と応用を徹底的にマスター。
お菓子をつくる仕事に就く自信や誇りにつながる1年間。
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