INTERVIEW
No.080

フランス料理人としての15年間を経て“伝説の家政婦”に。数々の挫折を味わいつつも、フランス家庭料理を愛し続けた思いが実を結んだ。

家政婦

タサン志麻さん

profile.
山口県出身。辻調理師専門学校からフランス校へ。1999年に卒業後、東京・四ツ谷の老舗フランス料理店やビストロなどで修業を積む。結婚を機に2015年、家政婦として仕事を開始。“予約がとれない伝説の家政婦”としてメディアから注目され、出版したレシピ本は続々ベストセラーに。出演したテレビ番組では、軒並み高視聴率を記録。現在も家政婦を続けつつ、「つくりおきマイスター養成講座」のレシピ監修・講師や、食品メーカーのレシピ開発など多方面で活動中。

母のように家族を思って料理がつくれるのは、とても幸せなこと。

仕事や育児などで忙しい家庭に訪れ、冷蔵庫にある食材で1週間分のつくりおきをする。片づけまで含めて3時間。評判となったフランス家庭料理に加え、和洋中やエスニック、デザートまでなんでも手がけ、要望があれば15品以上も用意する。
その驚くべき仕事ぶりにメディアが注目。2018年には、「沸騰ワード10」(日本テレビ系列)や「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)などのテレビ番組に“伝説の家政婦”として出演し、多くの人の驚きと感動を呼んだタサン志麻さん。一流店のフランス料理人だった15年間の経歴も、彼女に注目が集まる一因といえる。
「家庭によって食材や調味料の種類はもちろん、ガス火の強さも、鍋の大きさや素材も違う。最初は本当に大変でした。今でも大切にしているのは、限られた時間と食材であっても丁寧につくること。プロの世界で学んだ経験を活かし、どう料理したらおいしくなるかを常に考えてつくるようにしています」
レストランは、その店の味を求めて食べに行くものだが、今の仕事はまったく違う。家族構成や好み、体調など、各家庭に合った料理をつくることは、とてもやりがいがあるという。
「最初は家政婦という肩書に抵抗があったんですが、『おいしかった』『子どもとゆっくりできた』などと、言葉にして喜んでもらえる姿に、『こういうことがやりたかったんだ』と気づけたんです。食を人に頼むことというのは信頼関係が大切。お母さんのように家族を思って料理がつくれるのは、とても幸せなことだと感じています」

調理師学校に進学し、初めて食べたフランス料理に心を奪われた。

志麻さんが料理に接するようになったのはごく小さい頃。料理好きの母親が包丁を持たせてくれ、姉と一緒に料理を楽しんでいた。共働きだったが、暇さえあれば料理本を見て手づくりする母。その楽しそうな姿を見て、自然とつくることも食べることも大好きになっていた。よく面倒を見てくれた祖母からは、お茶やお花、絵を教えてもらい、日本の文化も好きになった。
「料理を仕事にしたいと考えるようになりました。つくる楽しさはもちろん、周りに日本の文化があってこそ成り立っているのも魅力でした。日本料理を学ぼうと、実家の山口から大阪の辻調理師専門学校へ。迷いはありませんでした。高校は進学校だったんですが、大学で4年間、明確な目的もないままに勉強するよりも、自分が好きなことを追究したかったんです」
しかしいざ入学してみると、初めて食べたフランス料理に心を奪われた。なかでも印象的だったのは、野菜のスープ。
「高級なイメージを覆すほっとする味で、こんな素朴な一面もあるんだと、フランス料理との距離がぐっと縮まりました。日本料理と同じく、周辺の歴史や文化も面白くて…。高校までの勉強は嫌いだったのに、知りたい気持ちがかきたてられてフランスに関する本を読み漁り、バイトをしながらフランス語も習いに行きました。当時はすべてが楽しくて新鮮。取りつかれたように、はまっていきました」
取材当日につくっていただいた「農家の野菜スープ」

留学中、最も心惹かれたのは、フランス人宅を訪れて食べた家庭料理。

恵まれた環境のなか、和洋中、レベルの高い料理を学べたことが今の基盤になったと振り返る。
「辻静雄前校長の影響も大きかったです。著作を入学当初から何度も読み返し、“文化も含めたフランス料理”に対する考え方に魅了されました。『フランスってこうなんだ』とワクワクし、イメージするだけで楽しかったです」
自身の著作と並んで、辻調の教科書も
卒業後は辻調グループのフランス校へ。しかし周囲のレベルが高く、まったくついていけなかったという。
「不器用だったので、実技試験も一人だけ時間内にできなかったりと、全然だめで…。だけど語学には自信があり、知識では誰にも負けないよう必死で勉強し、自分なりに実技の努力も重ねました」
フランス校時代のノート
その甲斐あって、三つ星『ジョルジュ・ブラン』の研修生に選ばれる。目の前の仕事に貪欲に取り組む毎日だったが、実は振り返ってみて最も心惹かれたのは、フランス人宅を訪れて食べた家庭料理だったという。
「シンプルだけど味わい深くて…。レストランとは違う、温かな家庭の雰囲気も魅力的でした。会話が絶えず、座っているだけで楽しかったんです。だけど共に働く仲間が目指しているのは華やかなフランス料理の世界。周囲に好きだと言えず、その思いがずっと続くことになりました」
フランス校時代
帰国後は上京。厳しい世界だとわかっていたので、自分が心から「ここで働きたい」と思えるところに就職しようと、アルバイトをしながら食べ歩きを続け、4カ月ほど経ち出会ったのが、四谷にある老舗のフランス料理店だった。
フランス校時代の食べ歩きノート
「そのガツンとした料理に、すごく衝撃を受けたんですよ。料理から出てくるシェフのパワーみたいなものが、今まで食べた感じと全然違って、『絶対ここに就職したい』と。最初は雇わないと言われたんですが、料理に対する思いを話しているうちに、『お前だったらできるかもしれない』と受け容れてもらいました」
使い込まれたフランス語の辞書

シェフの料理や考えに傾倒。フランス文化についても貪欲に学んだ。

仕事は厳しかったが苦ではなかった。シェフの料理や考えに傾倒し、勤務時間外にも自主的に勉強。フランスの歴史や文学小説、音楽や映画なども貪欲に学んでいった。しかしその文化を知れば知るほど、家庭的な料理への憧れが高まっていく。
今も時々開く辻調の教科書
「3年は絶対に辞めないと決めていたんです。だけどそれを過ぎたとき、糸が切れたようになってしまって。すごく悩んだ末に、退職を願い出ました」
その後は知り合いの紹介を受け、業務用のタレやソースを開発する食品会社でアルバイトをすることに。限られた予算内で理想の味に近づける、研究者のような仕事だった。
「フランス料理をやるつもりで学んできたのに、『何をやっているんだろう』と思っていましたが、今になるとその経験が役立っています。限られた条件下で何を大切にするべきか、勉強になりました」
その期間も、語学をはじめ、フランスについての勉強は続けていた。1年半ほど経ち、就職活動を再開。高田馬場のビストロに感銘を受ける。
取材中にテーブルにやって来た愛猫のトムトム
「レストランの華やかな料理じゃなく家庭料理が好きだといったことをお話したら共感していただけ、シェフの考え方や料理の感性も好きだと感じ、実際に食べさせてもらったら、『これこれ、こういうの!』という確信があり、すぐ働かせてくださいとお願いしました」
トムトムの姉妹のナナ。わざわざ探した築60年の古民家は、ゆったりとした空気が流れる
シェフを含め4人で朝早くから出ても間に合わないほど、とにかく忙しい。先々まで予約が埋まり、常に満席。多忙であってもシェフは料理に対する妥協を許さない人だったこともあり、長く続く料理人がいなかった。
依頼先での調理
「お店のことがすごく好きになっていたので、『私がなんでもやるのでシェフと2人で働かせてください』とお願いし、自ら仕事漬けの生活にしたんです。にもかかわらず週1回の休みには、朝美術館に行って、午後からフランス語のレッスン、夕方映画を見て、食べ歩きにも行く。おかしいぐらい、フランス文化にのめり込んでいました。シェフとほとんど2人でやってきたから、家族のような強い絆を感じていました。ずっとシェフと一緒にやりたいとも思っていました」
依頼先での調理
しかし再び悩みは募る。勉強したいことは山ほどあるのに時間がない。シェフにも相談し、人を入れてもらったが、やはりうまく動かせない。そんな時期が続き、退職を選択することに。
「本当に申し訳ないことをしました…。10年間のすべてだったのに、こんな辞め方をしなきゃいけなかったのは自分でもショックでしたが、思いが強すぎるあまり空回りしてしまって、当時はそれしか選べなかったんです」
友人たちとのホームパーティー『志麻さんの何度でも食べたい極上レシピ』(マガジンハウス)©青木和義 より掲載

フランス家庭料理への思いから、“伝説の家政婦”と呼ばれるように。

退職後は、フランスへ家庭料理の勉強に行こうと、お金を貯めることにした。フランス文化に触れていたいと考え、多くの在日フランス人が働く焼き鳥店へアルバイトに。そこで語学を学ぶために来日していたフランス人、ロマンさんと出会い、結婚へと至る。
旦那様のロマンさん(右)と
「今までの経験が活かせ、勉強できる時間をもてる仕事はないだろうかと職を探しました」
こうして2015年、家政婦になることを決意し、家事代行マッチングサービスに登録。しかし依頼の中心は掃除。当初はジレンマを感じることもあったという。
「同級生たちが独立してお店をもっていくなか、『これでいいのかな』という思いもありました。だけど次第に、『料理がすごくおいしかった』とレビューを書いてくれる人が増えてきて…。日々食べる料理だから、和洋中なんでもつくれるように勉強しましたが、なかでも知ってほしいフランスの家庭料理を織りまぜたところ、噂が広まっていったんです」
『志麻さんの何度でも食べたい極上レシピ』(マガジンハウス)©青木和義 より掲載
「特別な材料を用意しなくても、家庭でフランス料理が食べられる」…そのインパクトは大きかった。半年ほどで状況が変わり、料理だけの依頼が殺到。1年足らずで契約顧客数ナンバー1に。“予約がとれない伝説の家政婦”として評判を呼び、書籍出版の話も舞い込んだ。わずかな産休を経て復帰した2018年2月以降は、テレビの舞台でも活躍することとなる。
『志麻さんの何度でも食べたい極上レシピ』(マガジンハウス)©青木和義 より掲載

好きなものを追いかけ続けてきたことが、すべて今につながっている。

「今は本を出したり、メディアに出させてもらったりして、大好きなフランスの家庭料理が家にある材料でもつくれると大きな声で言えますし、食べてもらうことやつくってもらうこともできている。苦しい時代は長かったですが、ようやく今、自分の想いと勉強してきたことが形になったので、人生どうなるかわからないですね。肩書きにはこだわらなくなりました」
志麻さんの書籍の一部
忙しい世の中だが、おいしい食事を囲み、家族そろって豊かな時間を過ごしてほしい。自分が長年、伝えたかったのは、フランスの家庭から教わった、そんなメッセージだった。
パリ郊外のご主人の実家での食事
「先日、パリ郊外にある主人の実家に息子を初めて連れて帰ったんですが、食事中の雰囲気だけですっごく楽しそうにするんですよ。和気あいあいと笑いながらご飯を食べるのは、すごく幸せなことなんだなと改めて感じました」
作り置き(夏)
料理だけでなく、その周りにある文化や歴史まで伝えたい。そして、家庭でゆっくり食事を楽しむ時間の大切さを伝えたい。そんな発信をし、実感をしてもらえる機会があるなら、どんどんチャレンジしていきたいと志麻さんは語る。
作り置き(離乳食)
「誰にも相談できず悩んできましたが、フランス料理に対する思いはずっと変わらず、勉強を続けてきました。そのことが今につながっています。料理が好きだと飛び込んだ世界のなかで、みんなと違ったっていい。一生懸命やっていれば必ず形になるはずなので、これからめざす人たちも周りに振り回されず、自分が好きだと思うものを追いかけ続けてほしいです」

タサン志麻さんの卒業校

辻調理師専門学校 launch

辻調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻調グループ フランス校

本場でしか学べないことがきっとある

フランス・リヨンに郊外にあるふたつのお城の中には、
フランス料理とヨーロッパ菓子を学ぶための最新設備がずらり。
LINE:送る

OTHER PROFESSIONs