No.123
フランス料理をはじめ、食にまつわる多彩な経験を活かして出張料理人に。現場での修業も続けつつ、おいしい喜びを各家庭に届けたい。
シェアダイン 出張料理人 ビストロプラン 料理人
畑 竜介さん
profile.
東京都出身。東京都立農業高等学校からエコール 辻󠄀 東京 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジ、辻󠄀調グループ フランス校に進学。2011年2月に卒業後、東京・自由が丘近くのフランス料理店『ラ・ビュット・ボワゼ』に就職。その後、株式会社ラムラに転職し、銀座のフランス料理店『ギント』に配属。約1年後、同じく銀座の肉料理専門店『N9Y』に異動し、副料理長に就任。2017年、ファミリーレストラン『100本のスプーン』を経て、2020年5月、出張シェフのマッチングサービス『シェアダイン』の出張料理人および表参道『ビストロプラン』の料理人としての活動をスタート。
access_time 2020.11.18
フランス料理をベースにした作り置きで、思い出をつむぐ出張料理人。
一般家庭を訪ね、主に作り置き料理を用意する出張料理サービス企業『シェアダイン』。その料理人として、多様なレストランで経験を重ねてきた畑竜介さんが活動を始めると、フランス料理をベースにした家庭料理が大好評を博し、数々のメディアでも取り上げられるようになった。
「リピートしてもらえるうれしさはもちろん、毎回違うご家庭に行って新鮮な気持ちで料理に臨めるのも楽しい。後日、皆さんが書いてくださるレビューも大きなやりがいになっています」
家庭よって違うハウスルールの確認からスタート
この日、訪ねたのは、小学1年生と今年7月に生まれたばかりのお子さんをもつ、永岡友香さんのお宅。永岡さんは言う。
取材にご協力いただいた永岡友香さん(右)
「2人目の妊娠がわかってから定期ユーザーになり、当時は娘の成長やお腹のなかの赤ちゃんにいい料理をとオーダーしていました。今も母乳に影響しますし、私自身の食生活も重要です」(永岡さん)
もともと共働きで仕事が忙しく、でも子どもにはおいしくて身体にいいものを食べさせたいので、1人目のときには無理して頑張っていたんですが、そのことで子どもと向き合える時間が少なくなってしまったこともあり、お願いし始めたんです」
「仕事や育児で手が回らないときに、ごはんが家にあるのはとてもありがたい。いろんな方のいろんな料理が食べられ、しかもそれが超おいしいからたまらないです」(永岡さん)
畑さんが永岡さん宅を訪ねるのは初めてのこと。事前確認をして調理に取りかかると、色とりどりの料理がみるみる出来上がっていく。
「レビューを参考にしてお願いする方を選ぶこともあります。Ryuシェフ(畑さん)は最近、テレビや雑誌に取り上げられていたのを見て希望しました。こんなすごい料理人の方が、我が家に合わせた料理をつくってくださるのもうれしい。まるで自宅にレストランが来てくれたようでわくわくします」(永岡さん)
「今日つくっていただいたお料理も誕生日パーティみたいなごちそうで、どれもおいしそう。手際の良さにも見惚れていました」(永岡さん)
「食事って思い出とつながりますよね」と畑さんは語る。
「おいしいものを食べれば印象に残るし、一緒に食べた人や、そのときどんな状況だったかといった記憶と結びついていく。そんなふうに、皆さんの思い出となる料理をご提供できればうれしいですね」
左上から、キャロットラペ、鶏肉のフリカッセ、ハッシュドビーフ、型なしキッシュ、グラタン・ドフィノワ、サツマイモのポタージュ、紫キャベツのシュークルート、カボチャとリンゴとナッツのサラダ、人参とささみの粒マスタードマリネ、紫キャベツとリンゴのマリネ、ミートボールのトマト煮込み、サーモンのソテー~シャンピニオンソース~
亡くなる直前の父親が背中を押してくれ、フランスへの留学を決意。
週末の夜には、表参道にある『ビストロプラン』のキッチンでシェフをサポートする畑さん。二つの顔をもつ新しいタイプの料理人だ。
『ビストロプラン』でのインタビュー
「小さい頃からお駄賃制で家の手伝いをしていたんですよ。つくると両親も喜んでくれたので、料理が好きになって。小学校の自由研究で料理本をつくったこともありました。母親の後押しもあり、高校は調理師免許がとれるところへ。母の実家が商売をやっていたこともあり、手に職をつけておけば食いっぱぐれないだろうと考えていたんです」
東京で生まれ育ち、東京都立農業高等学校に進学。調理の実習が楽しく、料理づくりが好きだと再認識した。2年生になると、イタリア料理をテーマにしたテレビドラマ『バンビ〜ノ!』が放映され、料理人への憧れはさらに増していった。
「先生の勧めで卒業後は、西洋料理に特化して学べるエコール 辻󠄀 東京 辻󠄀フランス・イタリア料理マスターカレッジに進みました。さらに深く学ぶためには、2年目にフランス校へ留学する選択肢もあったんですが、1年間も海外で過ごす自信がなくて…。学費を言い訳に諦めようとしていたものの、当時、入院中だった父が『お金は心配することじゃない。一生のうち、こんな経験を積めるチャンスもないだろう』と背中を押してくれたんです。おかげで決心がついた約3カ月後に父親が亡くなって…。絶対にやるしかないと、さらに気を引き締めました」
エコール 辻󠄀 東京時代(左側が畑さん)
伝統ある三つ星店で仕事を任され、精神的にも鍛えられた。
エコール 辻󠄀 東京で学んだ1年間は高校以上に楽しく、初めて触れるフランス料理に魅了された。
「実技につながる理論を体系的に学べた座学も、応用力をつけるうえでもとても大切なことだと今になっても実感し、学び直したりもしています。それがないとどうも薄っぺらい感じもして・・・学生時代は、何より先生たちの実演する姿に惹かれ、少しでも近づきたいという想いがモチベーションになりました」
フランス校時代(前から2人目が畑さん)
そして1年後にはフランス校へ。約半年後から始まった実地研修は、50年以上にわたりミシュラン三つ星を保ち続けるレストラン『トロワグロ』で受けることになり、まず魚料理の部門に配属された。
『トロワグロ』での研修時代(左端が畑さん)
「部門シェフにさばけるか訊かれ、ウィ(はい)と即答して取りかかりました。先生方からすぐに『ノン(いいえ)とは言うな。とりあえずやってみろ』と助言をもらっていましたから。何度かのチェックを経て、任せてもらえるようになったのはうれしかったです。あんなに大量の魚介類を触ったことは後にも先にもなく、どんどん速くさばけるようになっていきました」
『トロワグロ』での研修時代(中央の黒い洋服が畑さん)
「とはいえ最初は意思疎通も思うようにいかず、1カ月ほどで精神的に参ってしまったんですよ。だけど心配した先生方が食事をしに来てくれたことが、心底うれしくて…。何気ない日本語での会話に救われ、そこから浮上できました」
しばらく経つと、アミューズ(突き出し)部門も経験し、環境に対応できるようになっていく。
「一度、自分のミスじゃないことで怒られたんですが、先生から『違うなら違うと言いなさい』とも教わっていたので、しっかり否定しました。流されると、自分のせいになってしまいますからね。精神的にも随分、鍛えられたと思います。当然ながら料理はどれも素晴らしく、シンプルに見えて裏ではものすごく手間がかかっている、三つ星の仕事を体験できました」
尊敬するシェフから大切な基礎をすべて教わり、若くして副料理長に。
帰国後は、自由が丘近くのフランス料理店『ラ・ビュット・ボワゼ』に就職。その雰囲気にも魅せられて志望した一軒家レストランで、まずはサービス担当からスタートした。
『ラ・ビュット・ボワゼ』時代(左端が畑さん)
「留学中、食事に出かけたときも、サービスマンを見るようにしていましたし、レストラン形式の実習時にサービスも経験できていたことが役立ちました。接客から携われたおかげで、その後も自然とお客様に意識を向けられるようになりました。半年ほどでキッチンへと異動になったんですが、当時、スーシェフだった金子(裕樹)さんには、野菜の下ごしらえからスープの取り方、鍋の振り方やまかないの作り方まで、大切な基礎をすべて教わりました」
現在は、畑さんが勤める『ビストロプラン』の総料理長を務めている金子さん。今の話を聞き、「本当にピュアで、教えがいがあったんですよ。こういう若い人に後のトップシェフになってほしいと思い、愛情をかけすぎました」と微笑む。
金子裕樹シェフ(左奥)
『ラ・ビュット・ボワゼ』が個人店だったこともあり、その後は組織的な働き方を経験してみようと、首都圏を中心に多彩なレストラン事業を展開する株式会社ラムラに転職。チームで効率的に動く勉強にもなり、23歳の若さで副料理長を務める経験もできた。
「歳上の人たちに指示を出すのは難しくもありましたが、社員だろうがアルバイトだろうが、誰がつくってもお客様には関係ありません。スケジューリングやマネジメントの力に加え、責任感も身につきました」
過労で倒れ別業種へ。一旦離れたことで料理が好きなことを再認識できた。
転職してから約4年半、がむしゃらに働き続けた。しかし仕事中に倒れてしまったことをきっかけに、環境を変えたいと思うようになった。
「つい働きすぎてしまい、料理が嫌になりかけていたんですよ。だから自分が経験したことのない、まったく違う職に就いてみたいと、営業代行の仕事を始めたんです。美容商材などを扱う仕事だったんですが、これまで関わったことのない畑の人たちと話す経験ができ、今につながるコミュニケーション力が培えたと思います」
やがて半年ほど経つと、「料理をつくりたい」という思いが自然と芽生え、やはり自分は料理の仕事が好きだったんだと再認識できた。そのときに頼ったのが金子さんだった。
金子裕樹シェフ(右)
「もう一度、一緒に働きたいと連絡したところ、新しく開業するお店に移るから1週間しかいられないと(苦笑)。だけど当時、金子さんが料理長を務められていた二子玉川の『100本のスプーン』というお店がすごかったんです。ファミリーレストランを名乗りながらも、ジビエなんかも出していて、とてもファミレスの料理じゃない(笑)。すごい経歴の料理人たちが働いていたことにも魅力を感じ、2017年からアルバイトに。これまでやってこなかった料理にふれ、引き出しが増やせました」
『100本のスプーン』時代
新たな経験を重ねつつも、先行きについては模索する日々が続いていた。そんななか、SNSを通じ、愛知県で出張料理人をしていたエコール 辻󠄀 東京時代の友人に再会。面白そうだなと調べてみたが、当時は自宅にレストラン料理を出張で届けるような仲介サービスしか見つけられなかった。
「お店には勝てないだろうという想いがあって、積極的になれなかったのですが、やはり気になっていて…それで再び検索したところ、現在所属する『シェアダイン』を見つけたんです。メインの仕事は、特別な日の出張料理ではなく作り置き」
「フランス留学中、自分が最も惹かれたのは、コース料理ではなく、どかんと大皿で出てくるような、家庭料理に近いビストロ系の料理だったんですよね。さまざまなジャンルを経験し、『おいしければスタイルにこだわらなくてもいいんじゃないか』という思いも抱いていたので、自分に向いていると感じて2020年の4月に登録したんです」
対人力や計画力も含め、すべての経験が活きる、作り置きの出張料理。
2018年創業のシェアダインが提供するのは、管理栄養士や料理人などの食の専門家たちが依頼者宅を訪れ、それぞれの要望に沿った料理をその場でつくるサービスだ。
「料理の幅はもちろん、サービスや副料理長、営業代行など、これまで積んだ経験すべてが、今に生きています。調理器具や調味料はその場にあるものを使わなければならないし、食材のすり合わせは事前にある程度していても、想定と違うこともある。代替案も臨機応変に考える必要があり、訪ねるごとに適応力が上がっています。『高タンパク低糖質のものがいい』といったリクエストもお受けするので、自ら勉強もできて面白いですよ」
シェアダイン共同代表の井出有希さんによれば、「私自身、仕事が忙しく料理をする時間がとれないなか、子どもの好き嫌いに悩み、こういうサービスが必要だと会社を立ち上げたんですよね」とのこと。「コロナをきっかけに、素晴らしい経験を積まれた料理人の方の登録も増え、お客様にも喜ばれています。Ryuシェフはその筆頭。いつも想像を上回る料理をつくってくださり、最後まできっちり対応してくださり気持ちがいい、といったお声をいただくんですよ」と教えてくれた。
シェアダイン共同代表の井出有希さん(左)
一方、『ビストロプラン』で働くようになったのは、『シェアダイン』で活動を始めた直後のことだった。畑さんは言う。
『ビストロプラン』エントランス
「サービスマンがサービスして、シェフができたての料理を出すレストランには、トータルの雰囲気も含めて勝てません。まだまだ技術も学びたいし、知らないこともたくさんある。完全に離れてしまうと、どんどん置いていかれそうなので、現場の空気を吸っておきたいなとお願いし、いまも金子さんから学んでいます」
それを受けて金子シェフは、「一度離れてからも諦めず、料理をやってくれていることがうれしい。またここで、覚えられるものはどんどん吸収していってほしいですね」と語る。
右から金子裕樹シェフ、畑竜介さん、ソムリエの石井啓章さん
家族の幸せな時間にもつながる食の仕事。自分の道はきっと見つかる。
「実家では唯一、朝ごはんを家族全員で食べるのが決まりだったんですよ。昔から父親が多忙だったので、おいしいごはんを囲み、みんなで過ごす時間を大事にしてきました。振り返れば、かけがえのない幸せな時間だったなと。そこに関われる仕事に出合え、本当に良かったです。後の大切な思い出につながる食事を、多くのご家庭に届けていければなって」
食にまつわる仕事は、想像を遥かに超えるほど幅広い。一つの料理や食品、レストランなどに対し、開発する人やコンサルティングをする人、PRする人や提供する人など、実にたくさんの人が関わっていることは、実際この世界に入ってみないとわからなかったことだと、畑さんは振り返る。
「僕自身、今のような働き方があると考えてもいなかったですし、知れば知るほど、可能性は広がっていきます。だから面白そうだなと思えば、飛び込んでみればいい。今やりたいことが見つかっていない人も、食に関わることが好きなら、きっと自分に合った道が見つかると思います。まずは一歩踏みだして、自分でやってみて、食べてみて、それを次へ次へと活かしていってほしいです」
辻󠄀調グループ フランス校
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