INTERVIEW
No.150

基礎から学び応用力を高めていった夫婦が、シェフの地元出雲でパティスリーを開業。目標をもって積み重ねた経験が今に生きている。

パティスリー ルノワール オーナーシェフ マダム

黒田 高広さん 黒田 知里さん

profile.
黒田 高広 オーナーシェフ/島根県出身。島根県立大社高等学校から辻󠄀製菓専門学校に進学。2007年に卒業後、兵庫県の宝塚市『お菓子のお店 Kazu』、加古川市『ヌーヴェルパティスリーともなが』で修業。2015年には地元出雲市に戻り、結婚式場『ヴィラ・ノッツェ コルティーレ出雲』に転職。独立準備を進め、2020年2月、同市に『パティスリー ルノワール』をオープン。

黒田 知里 マダム/大阪府出身。大阪府立山本高等学校から辻󠄀製菓専門学校に進学。2007年に卒業後、飲食店でアルバイトを重ね、辻󠄀調理師専門学校のカフェクラスに再進学。2009年の卒業後、帝国ホテル大阪に就職し、販売と製菓を経験。高広さんとの結婚に向け退職し、数々の飲食店で接客業を経験。経理事務などに必要な勉強を進め、高広さんとともに2020年2月、島根県出雲市に『パティスリー ルノワール』をオープン。
access_time 2022.05.27

ベースがあって、人や店によって違うものになっていくのも製菓の面白さ。

2020年2月、黒田高広シェフと知里マダムが島根県出雲市にオープンさせた『パティスリー ルノワール』。出雲大社へと続く大通り沿いにあり、小さなお子様づれのご家族からお年寄りまで、地元の方を中心に幅広い客層に愛されている人気店だ。
場所は高広さんの実家のほど近く。サッカーに打ち込んでいた少年時代、洋菓子店を舞台にしたテレビドラマを観て、製菓に興味をもったという高広さん。高校で進路を考える段階になり、大阪にある辻󠄀製菓専門学校のオープンキャパスへ。
「料理と違い、お菓子って形のないところからつくるでしょう。卵、砂糖、小麦粉、バターなどの同じ材料でも、作り方によって違うものができてくる。その面白さを体験実習で感じて、パティシエをめざそうと決めました。試しに自宅でつくって家族や友だちにあげたら、喜んでもらえたのもうれしかったんですよね。吸収できるだけ吸収して、ゆくゆくは地元に帰ってお店を開きたい。テレビで憧れたキラキラしたお菓子が手に入らなかったので、自分が提供できればいいなと思っていました」(高広さん)
2006年4月に入学すると、知らないことばかりで面白い。中身の濃い1年間でついていくのに必死だったが、フランス菓子のベースを学べたことが今につながっていると振り返る。
「辻󠄀のルセット(レシピ)って、ザ・フランス菓子って感じの古典的なものなんですよ。だから、すごく甘かったり、お酒がきつかったりするんですが、先生方も『お店で出すなら、こうアレンジしたらいい』と教えてくれて。もともとのベースがあって、そこから人や店によって違うものになっていくのも面白い。どれも同じじゃなく、自分で決められるんだという部分にも、とても惹かれました」

しっかりと基礎を身につけてから、斬新なお店に入れたことが結果、良かった。

卒業すると、兵庫県宝塚市の『お菓子のお店 Kazu』に就職した高広さん。その選択基準は独特だった。
「自分の将来を考え、厳しいお店で修業をし、地元に戻って開業されているところで働きたかったんですよ。もう一つのお店と迷っていたんですが、面接の2日前、たまたま『Kazu』のOBだった先輩の講習が学校であり、お話を伺って決意。そもそも独立をめざす人を取りたいという方針で、当時は4年で卒業だと面接の時点で言われました」
「育てた人材を次々に送りだすのは、教える側にとっては非効率的かもしれませんが、シェフ(山本一人オーナーシェフ)自身がそういうお店で修業されていて。全国各地に人脈が広がるのは、大きな喜びがあるという考えだったようです。4年間ですべてを学ぶため、半年でポジションが変わるので大変でしたが、その分、集中して学べました」
お菓子の基礎はもちろん、礼儀作法も徹底的に叩き込まれた。コンクールにも積極的に参加。「西日本洋菓子コンテスト」の飴細工部門では銅賞に輝いた。2011年にお店を卒業すると、就職時に迷っていたもう一つのお店、兵庫県加古川市の『ヌーヴェルパティスリーともなが』へ。
「ほかとは全然違う個性的なお店で、シェフがすごい職人なんです。ケーキのデザインがとても斬新だったんですが、4年前に見たときよりさらに進化していました。一般的にはしないことでも、お客様が喜んでくださるのなら関係ない。新作をつくってもワンシーズンしか出されないほど、常に新しいケーキが次々と生みだされていくので、毎日の仕事が刺激的でした。基礎を身につけてから働けたことが、結果、とても良かったと感じています」

由緒あるホテルの販売職で接客力が鍛えられるとともに、その楽しさを実感。

一方、大阪府八尾市に生まれ、幼い頃からお菓子づくりが好きだった知里さん。洋菓子をメインとするカフェを開くのが夢だった。進学した辻󠄀製菓専門学校で高広さんと同じクラスになり、「いつかお店を開きたい」という共通の夢で意気投合する。卒業後はさまざまな経験を積もうと、朝はパン店、昼はスフレチーズ専門店など、数々のアルバイトに励むも、道が絞れず1年後、辻󠄀調理師専門学校のカフェクラスに再進学。2009年の卒業後は帝国ホテル大阪に就職する。
「由緒あるホテルなら、基礎からしっかり学べそうだなと志望しました。1年目はペストリーの販売職だったんですが、言葉遣いや礼儀など、接客面もしっかり教えてもらえ、人としても成長できたと思います。外国の方を含め、本当にいろんなお客様がいらっしゃったので、対応力はかなり鍛えられましたね。販売は、お客様の表情が見られたり、いろんな感想が聞けたりして楽しい。喜ばれるとうれしくなり、この仕事が大好きだと感じていました」
その頃、食べ歩き友だちだった高広さんと付き合うことに。2年目には製菓担当となるが、加古川への移住を機に退職。2012年には高広さんの地元にあった結婚式場『ヴィラ・ノッツェ コルティーレ出雲』で結婚式を行う。そこが高広さんの分岐点にもなった。
「2店舗に勤め、ためてきたものを地元で試して反応を見たかったんですよね。自分がある程度、自由にできて、ゆくゆく近くで独立開業しても、迷惑がかからないところ。そう考えると、結婚式場がベストだなと。ただ、『Kazu』のOBからは、あまり賛成されなかったんです。式場に入って独立した人がいないとか、式場は既製品が多いとか…。でも自分が式を挙げたから、ちゃんと手作りされていることもわかっていたし、前例がないなら自分がつくればいい。むしろ必ず成功させようと気合いが入りました」
こうして2015年、『ヴィラ・ノッツェ コルティーレ出雲』に転職。入って半年で、唯一のパティシエとなる。これまで経験のなかったアシェットデセール(皿盛りのデザート)を、繁忙期ともなれば土日は1日3件、合計約360人分もつくらなければならない。
「料理長は簡単なものでいいと言ってくれましたが、転職時に周りからの反発があったおかげで、絶対にちゃんとやろうと。自分で自分を追い込む状況になっていました。特注のウエディングケーキを手がけることも多く、とにかく大変だけど面白い。定時で終わっても自分で新しいことにチャレンジできる自由さもあり、好奇心に合わせて存分に勉強できました。厨房が料理と一緒なのも刺激的。料理長から『こうすればよりおいしくなる』といった素材の扱い方なども教えてもらえ、味覚も鍛えられました」

友人の結婚式にと考えた「出雲抹茶ショコラテリーヌ」が商品化されることに。

しばらくすると、地元の友人たちが次々に結婚式を挙げてくれるようになった。それが楽しくもありプレッシャーでもあったと高広さんは笑う。
「一人ひとりに合わせたアシェットデセールをつくるんですが、友だちだと列席もかぶってくるから、以前と似たようなものでは驚かれなくなる(苦笑)。次第にハードルが上がっていくので、ものすごく鍛えられました」
在籍中、最後に式を挙げてくれたのが、老舗の茶舗『桃翠園』を家業とする幼なじみだった。自分のところのお抹茶も使ってほしいというリクエストに応えようと、試作を繰り返す。
「僕自身が結婚するとき、妻の実家へ挨拶に行くのに何かつくっていこうと、友人のお母さんに頼んで『桃翠園』の抹茶を送ってもらったんですよね。その際、『いつも応援しています』という手紙を添えてもらえたことにも感動し、いつか恩返しをしたいと思っていたので、考えに考え抜きました」
こうして完成したのが、出雲産の1kg10万円の高級抹茶を使った『出雲抹茶ショコラテリーヌ』だった。結果は大好評。友人の兄である『桃翠園』の会長から、その場で「通販で売らせてくれないか」と依頼を受け、力になれるならと快諾。後にそれが評判を呼ぶことになる。

コンテストで結果を出したことにより、仕事がスムーズに進められるように。

4年目には松江市や鳥取も含め3店舗の式を統括するようになった高広さん。
「そうなると、初めて会うプロデューサーや関係企業の方との打合せが続いて…。毎回、この人で大丈夫かみたいな疑いの目を向けられていたので、どうすれば信用してもらえるかを考えた末、何らかのコンクールに出場して結果を出すしかないなと」
そこで見つけたのが、クリームチーズのブランドが主催する『アーラ ブコ クリームチーズコンテスト2018』だった。製菓のコンクールは、ホテルや店舗をあげて出場するのが一般的。孤軍奮闘は厳しかった。
「そもそも結婚式場から個人でコンテストに出る人も見かけない。ショーケースがないから、小売の生ケーキをつくることもないですし…。だけどこのコンテストにはデセール部門があったうえ、第10回大会だったこともあり、テーマが“アニバーサリースイーツ”だったんですよ。これなら式場で働いていることも強みにできる。傾向や対策もしっかり考えて応募したところ、書類審査を通過し、東京での本選に出場できることになったんです」
応募した頃には「出雲抹茶ショコラテリーヌ」の通販がスタートしていたが、出だしは苦戦した。しかし本選への出場が決まるとテレビで紹介され、一気に売上げがアップ。そして本選の結果は全国4位。次々に出た成果により、周りにいるすべての人が高広さんの意見を受け入れてくれるように。お客様に喜んでもらうことを第一に考えた提案が、自由にできるようになった。やがて独立に向け、円満退職に至る。

地域活性化や地域貢献などへの姿勢が認められ、起業支援を受けて独立開業へ。

高広さんが腕を磨いている間、知里さんも独立開業準備を進めていた。結婚後も加古川で接客業のアルバイトを続けていたが、1人目を授かると家に入り、簿記を独学。日商簿記検定の4級に合格する。
「実家が自営業で、母が事務をしていたんですよ。それでお店をやるなら必要だと言われていて。出雲に移住してからは喫茶店でのアルバイトを再開したんですが、2人目を授かったタイミングで退職。職業訓練校に通い、簿記と電子会計実務の3級、Excelの資格を取得しました」
二人で開業資金を貯めつつも、すべてはまかなえない。補助金を探していた2019年に見つけたのが、その年に始まった「令和元年度わくわく島根起業支援事業」だった。
「地域活性化や地域貢献、新たな雇用を生むことなどが条件だったため、個人の飲食店にはハードルが高い。200ほど応募があったなか、飲食業で面接までいったのは僕だけでした。採択してもらえた要因は、すでに『出雲抹茶ショコラテリーヌ』が好調だったこと、前職の式場にケーキを卸していたこと、コンクールで実績をあげていたこと。運良く今の場所を借りられることになり、開業に至りました」
2020年2月の開業時には、『Kazu』グループのスタッフやOBたちが9人も応援に駆けつけてくれた。
「初日には、(山本)シェフ自らがお祝いに来てくださいました。独立する教え子のもとには、必ずそこまで足を運ばれるんです。スタッフを泊まりがけで送りこんでくださったり、OBにも電話して応援を要請してくださったり…。本当にすごい人だと思います。とてもありがたい。『Kazu』グループのつながりは今でも強く、頼もしいです」

お客様と直接ふれあうことで、一人ひとりの背景が見えてくる喜びとやりがい。

コロナ禍によるテイクアウト需要が追い風にもなった『ルノワール』。クチコミはもちろんInstagramに上げられたお菓子の美しさも手伝って、一躍人気店となった。出雲大社の神迎神事が行われる稲佐の浜でとれた「神迎の塩」や「桃翠園」の出雲抹茶など、地元のものを使ったケーキも注目を集めている。お客様との距離が近い、アットホームな雰囲気も好評だ。二人は語る。
「販売や事務など製造以外の部分は私が担っているんですが、お客様がものすごく応援してくださるんですよね。地元出身の方はもちろん、大阪や兵庫にお住まいだった方も、とても距離が近く親しく接してくださって…。うちのお店は皆さんに支えられてできている。そのことがとてもうれしいし、やりがいになっています。老若男女、どんな方でも入りやすいお店でありたいです」(知里さん)
「自営業の方も多く、とても励ましてくださるんです。つくづく皆さんに支えられなければ成り立たない仕事だなと。地元のものを使うなど、地域の力になれたらといっそう感じるようになりました」(高広さん)
お店の厨房はガラス張りになっていて、製造スタッフもお客様への挨拶を欠かさない。一人ひとりの細やかな気配りが、接客にも表れている。高広さんは言う。
「狭いお店なので、ショーケースの状況を確認する方法がこれしかなかったんですが、結果、すごく良かったです。商品の出方だけでなく、お客様がどんなふうに迷って選ばれているか、リピーターさんなのかご新規のお客様なのか、特注の箱を開けたときのリアクションはどうかなどがわかり、製造に反映させられます。『Kazu』の厨房もガラス張りで、シェフもずっとお店を見られていたんですが、その良さを実感できました」
ケーキの特注が多いのも、『ルノワール』の大きな特徴だ。「任せてもらえるということは、何かを期待していただいているということなので力が入る」と高広さんは目を輝かせる。
「特注でお気に召していただけると、またリピートしてくださるんですよね。同じお菓子であっても、手にされるお客様によって物語が一つひとつ違う。なかには亡くなられた方もいらっしゃるんですが、娘さんに『自分に何かあったら、ここのお菓子を使って』と伝えられていたようで…。お好きだったプリンを棺のなかに入れたいと買いに来てくださり、胸を打たれました。お一人おひとりの背景は、お客様と直接ふれあわなければ見えないこと。独立したことで、想いを馳せられるようになりました」
若くして夢をかなえた黒田夫妻。現在はテイクアウトのみだが、より広い場所へ移転し、ゆくゆくはカフェ営業も手がけたいと、さらなる目標に向けて奮闘中だ。最後に、未来の後輩たちへのアドバイスをもらった。
「基礎は本当に大事です。学校で学んだことは、すべて役に立っています。やってきたことで無駄になる経験なんて一つもない。すべてが生きると思いながら、頑張ってほしいですね」(知里さん)
「そのときは『こんなことに意味があるのか』と思ったとしても、5年後10年後に気づくこともあるので、学校の授業も先輩の言葉も聞き流さずにストックしたほうがいい。ここ数年で働き方改革も進み、働く側にとっていい環境になったと思います。だけど同じ30歳になったとき経験している仕事量が全然違ってくるので、ぜひ自由な時間を使って自分を磨いてほしいと思います。また、自身の出身地での起業を一度イメージしてみて、地域創生や起業支援に関わる様々な制度を調べてみるのも、未来への勇気につながると思います」(高広さん)

黒田 高広さん 黒田 知里さんの卒業校

辻󠄀製菓専門学校 launch

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀製菓専門学校

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