No.158
生産者と密に関わり、究極の食材を仕入れて、その力を最大限に引き出す。次代の料理人を育て、日本料理の素晴らしさを世界に発信。
株式会社豪龍会 代表取締役
久保 豪さん
profile.
千葉県出身。千葉県立八千代東高等学校、流通経済大学 経営学部を経て、現・エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀日本料理マスターカレッジに進学。1999年に卒業後、東京都内にあるさまざまな日本料理店で修業を重ね、2013年5月、西麻布に『豪龍久保』をオープン。約7カ月後にミシュランガイドの二つ星を獲得して以降、7年連続でその座をキープ。2021年6月に移転させ、同所は寿司店『鮓祥』としてオープン。現在は事業拡大に向けて準備を進めている。
access_time 2022.11.11
二つ星日本料理店の店主は、大学在学中にプロの格闘家となった異色の料理人。
開業のわずか7カ月後にミシュランガイドの二つ星を獲得して以降、移転まで7年連続でその座をキープ。2021年6月、6万円のコースのみで再スタートを切った日本料理店が東京・西麻布の『豪龍久保』だ。
店主の久保豪さんは、1974年、千葉県八千代市生まれ。幼い頃から運動神経が良く、親の勧めで野球やバレーボールに打ち込んでいた。「それまでの人生、自分で決めたことがなかった」と振り返る久保さんだったが、高校3年次になり、自らの意志で空手を習い始める。
「今までと違い、自分しか頼るものがない個人競技。そこにシビれて、のめり込んでいきまいた。正直、大学は真剣に考えなかったものの、サラリーマンにはなりたくない思いがあり経営学科へ。そこから総合格闘技を始め、アマチュアの大会で優勝したところ、ライセンスが発行され、在学中の時点でプロに転向したんです」
スポンサーもつき、卒業後もプロでと考えていた4年次、身体を悪くしてしまう。周囲は就職先も決まっていた時期。そこでめざそうと考えたのが、料理の道だった。
「もともと小学生の頃から母の料理を手伝うのが好きだったんですが、格闘技の合宿で鍋当番になったとき、みんなに『久保がつくるときはうまい』と喜んでもらえるのが快感だったんですよね。身体を鍛えるためにも、引越業や警備員のアルバイトも相当やっていて貯金もあったし、自己投資だと思って進学を決めました」
知らないことを学んで吸収し、何かつくっていくのが、たまらなく快感だった。
選んだのは現在のエコール 辻󠄀 東京の辻󠄀日本料理マスターカレッジ。昔から日本の風土が好きで、日本料理にしか興味がなかったという。
「料理漫画に出てくる板さんへの憧れもありましたね。テレビでネギを刻むのが速い芸能人を見て、かっこいいなとまねしてやってみたり。身体を鍛えるのもそうでしたが、はまったらとことんまで打ち込むタイプなので、やればやっただけ成長を実感できる料理の世界は合っていました」
「役に立つとは思えなかった暗記するだけの勉強は嫌いだったんですが、自分に必要だと思うことについての勉強は好きで。授業も一番前で受けていましたし、休憩時間も使ってまとめたノートは、今でも大事に置いてありますよ。今もそうですが、知らないことを学んで吸収し、何かつくっていくのが、たまらなく快感なんですよね」
卒業後は東京にあった老舗の日本料理店に就職。当時、日本一とも謳われていた伝説的な高級有名店だったが、その評価の裏に、客の心をつかむ店主の“おもてなし”があることを学んだ。その後は専門学校の恩師、岡田裕先生の紹介で新宿御苑前の『大木戸矢部』へ。
「遅くから始めたものの40歳までに独立したかったので、長く居続けようというより、いろんなことを体験したいと考えていました。『大木戸矢部』はお蕎麦屋さんに近い日本料理店で、鰻やスッポンもやっていて、学べることが多かったです。僕は手先が不器用なので人の3倍は努力が必要だと思っていたんですが、蕎麦は自由に練習していいよと言われ、誰もいない時間に何度も何度も打っていました。まかないに出して認められ、任せてもらえるようにもなったので、当時は蕎麦屋での独立も考えていたんです」
二番手としてマネジメントの力を鍛え、料理長を経験。経営のノウハウを学ぶ。
その後も、著名人が多く訪れる華やかな高級店や居酒屋のような繁盛店など、さまざまな形態を経験。自身のスタイルを模索していく。
「辻󠄀調グループに進学したのは人脈をつくる目的も大きかったんですが、岡田先生には修業先の紹介でも本当にお世話になりました。10人以上も板前がいた店舗では、すごく頑張って一気に二番手のポストへ。どうすれば10人もの部下にうまく伝え、お店を回せるかに力を注ぎました。広範囲に任せていただいたので、レシピを書いて配ったり持ち場ごとにミーティングを行ったりと、マネジメントの力が鍛えられたと思います」
天然うなぎ
3年ほど経験を重ね、次は料理長に挑戦したいと退職。表参道の『しろう』で、献立から任せてもらえるチャンスを得た。
「古民家を改装した店舗で、昼は定食と十割蕎麦、夜はコースと単品を提供することに。しかし待っていてもお客さんは来ません。経営を学ぶセミナーに参加しつつ、自分でビラを印刷してまいたり、グルメ情報サイトに広告を打ったりと、集客する工夫を重ねました。42席の店舗を若い料理人と2人で切り盛りしていたので、忙しくて大変でしたが、努力の甲斐あって繁盛店に育てられました」
太刀魚炭火焼き
大胆な挑戦ながらも、魂の詰まった料理が徐々に浸透。集客も増えていった。
当初は3年ほどで独立へと動くつもりだったが、2011年3月の東日本大震災もあって引き継ぎが難航。次の料理長が見つかるまで、約6年間、勤め上げ、2013年5月に『豪龍久保』をオープンさせた。
赤貝
「さまざまな店舗を経験するなかで、独立後のビジョンはずっと描いていました。食材にこだわりたかったので、間口の狭い完全予約制にしようと、1万5千円のコースのみでスタート。西麻布であれば表参道のお客様もそのまま来てもらえるだろうと考えたんですが、駅から徒歩10分もかかりますし、当時はほかに飲食店もない住宅街の地下1階。完全に浅はかでした」
白子筍の炊込御飯
めざすは緊張感のある高級店。広告も打ちたくなければ、ランチもやりたくない。「美味ければ来てもらえる」と考えていたが、そう甘くはなかった。
「当初は新店に対しアンテナを立てている方がいらっしゃるぐらいで…。ミシュランの二つ星が取れてからも、1年ぐらい悲惨でしたよ。ただ、ひたすら一生懸命やり、魂は詰まっていたので、それが伝わっていったのか、お客様の数も徐々に増えてきて。2年連続で二つ星を取れたあたりから安定し、若い料理人を雇えるようにもなっていきました」
はも椀
産地に通い良いものを吟味。向上心の高い生産者と一緒に、より髙みをめざす。
独立までは市場での仕入れがほとんどを占めていたが、自由に動けるようになったおかげで、全国各地の生産者を訪ねるようにもなれた。
「一人でやっていた頃は、年に2~3回ほどしか回れなかったんですが、社員も増え、子どもたちも成長してきたので、休日に出かける余裕も出てきて。3~4年目頃から時間さえあれば、生産者さんはもちろん、さまざまな料理店や骨董店などにも足を運ぶようになりました」
焼鮎
生産者が大切に育ててきたもの、丁寧に獲ったものを、料理人が壊してはいけない。できるだけ損失がないように、その場でつくったものを、その場で出す。自身が最もおいしいと感じられるのが、ライブ感を大切にした料理スタイルだった。同じ食材でも、さまざまな産地へと足を運び、吟味する。土地名を冠した食材であっても、生産者によって全く異なってくるため、直接会話を交わして選んでいく。
北海道アスパラ農家さん視察
「土壌に恵まれ、産地のブランド力に甘んじている生産者もなかにはいますからね。僕はその食材の良いところも悪いところもフィードバックするので、それでご縁が切れたところも正直あります。しかし一方で、そこを含めて歓迎してくださる向上心の高い生産者さんもいる。そういう人たちと一緒に、より良いものをめざしていきたいんですよ。日々の仕入れはLINEを活用して選んでいますが、関係性を深めるためにも定期的に訪ねています」
函館産地視察
原価率を考慮し経営的な視点での店舗運営も重要だが、『豪龍久保』は、食材の質を優先させるための想いを貫く。
「試作を含め、食材へは高額な投資となっていますが、本当に素晴らしい食材が提供できることへの喜びを持ち続けたい。それは、お客様にも共感いただけ、価格に対する納得感にも繋がっていると感じています」
天然鮎視察
料理人とお客様、生産者さん、器屋さん、内装業者さん、その全員で良いものを共有したい。
仕事をするうえで、最も大切にしているのは「共有」。「一人の力じゃ何もできない」と、現在はスタッフの育成にも力を注いでいる。
筍農家さん視察
「お客様と一緒に我々も楽しもうというのが僕のスタイルです。献立は僕が組み立てますが、食材の仕入れや器選びに参加できたら楽しいだろうと、スタッフの意見も尊重しています。『こういう食材や器を料理に使いたい』という思いが成長にもつながりますからね」
松葉蟹視察
「僕だけ楽しくて張り切っていても、まわりの空気が醒めてしまう。料理人とお客様、生産者さん、器屋さん、内装業者さん、その全員で良いものを共有したいんです。そのためにもお店のブランド力は武器になる。お客様の数が少ないニッチな商売にはなりますが、勇気を出して踏み込めば、良いものをとことん追求できますからね」
料理と組み合わせたワイン会も頻繁に開催。スタッフが献立を考え、主導する機会としても活用している。
「スタッフの協力や成長なくして、いい組織はつくれません。ゆくゆくは希望するスタッフには、店を任せていければと考えています。いずれにせよ、彼らのレベルアップは不可欠。『彼がやるなら応援したい』というファンをつけることで、独立にもつなげられればと」
営業終了後、週に1回は必ず日本酒のボトル開けて、みんなで意見を出し合って検証。今後は「日本酒の会」も開いていくつもりだという。
「料理人は料理だけつくっていればいいわけじゃない。お酒のことだって、お店で出している以上、知らなければおかしいでしょう。知ったうえで提案できるよう、育てていきたいです」
人生死ぬまで勉強。料理に限らず刺激を受けることは、自分の財産になる。
東京オリンピック開催時期に合わせ、2018年には国立競技場の近くに十割蕎麦の店をオープン。日本の文化を世界の方に知っていただきたいと3年間、営業したものの、コロナ禍により苦境に立たされ、一旦閉店。現在は、京都での展開も視野に入れ準備している。
「もともと京都へは、器の仕入れで古美術商や骨董屋さんへ足を運んでいたんですよ。近ごろは休日ごとに足を運び、風土を体感。海外からの観光客が戻ってくるタイミングで出店できればと準備を進めています。大阪での新たな展開も計画中。せっかく日本に生まれたんだから、日本中の風土、環境、自然の恵みを知り使って料理し、その特色を世界に発信したい。それを勝手に、日本人の使命だと思っているんですよね」
コロナ禍で営業がままならなかった時期には、経営面に関する学びもとことんまで突き詰めた。移転前の店舗は寿司店『鮓祥』としてオープン。ゆくゆくはアメリカにも出店したいと考え、海外志向のあるスタッフも募っている。
「飲食店のオーナーでありながら決算書が読めないのは問題。税制にも興味をもって知識を得ました。人生死ぬまで勉強です。努力は怠らず、常に謙虚に。その気持ちで、やっとここまで来られました。自己投資は大切です。料理に限らず刺激を受けることは、自分の財産になります。料理の道を志す人たちには、ぜひたくさんの学びを得てほしいですね」
エコール 辻󠄀 東京
辻󠄀日本料理マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校 東京)
日本料理の奥深さに触れながら、
1年間で徹底的に本物の技術を学びとる。
1年間、日本料理だけを徹底的に。本物と一流にこだわった環境で、
日本料理の奥深さやおもてなしの心を会得する。
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