No.160
食の力で地域を活性化させたいと、地元能登で日本料理店をオープン。一本杉通りを中心に、まちを“美食の都”に生まれ変わらせたい。
一本杉 川嶋 店主
川嶋 亨さん
profile.
石川県出身。石川県立羽咋工業高等学校、金城短期大学を経て、エコール 辻󠄀 大阪の辻󠄀日本料理マスターカレッジに進学。2006年に卒業後、大阪『割烹 錦水』に就職。約7年間の修業後、大阪『老松 喜多川』、京都『桜田』、大阪『居酒屋ながほり』で日本料理の経験を重ねる。2016年の春には故郷七尾市に戻り、和倉温泉の旅館『のと楽』にある『割烹 宵待』の料理長に就任。地域の人々との交流を深め、2020年7月、日本料理店『一本杉 川嶋』を開業。
access_time 2022.12.26
親に時間をくれと頼み込み短大へ。料理人になりたいという想いが確信に変わった。
和倉温泉で知られる石川県七尾市。このまちで600年以上の歴史を持つ一本杉通りに、2020年7月、日本料理店『一本杉 川嶋』はオープンした。それから1年も経たず、ミシュランガイドで一つ星を獲得。すでに1年先まで予約が埋まっている人気ぶりだ。店主は地元出身の川嶋亨さん。父は地域随一の老舗旅館『加賀屋』で総料理長を務めていた。
「父親は忙しくしていたため、遊んだ記憶はほぼ無いのですが、旅館へ遊びに行ったり、市場へ連れて行ってもらったりしたことは覚えています。大きな組織で総料理長を務める父が、どこかかっこ良く見えていたんでしょう。僕自身も人を喜ばせることが好きだったので、料理の道に憧れがありました」
幼少期、『加賀屋』の総料理長を務めていたお父様と(中央が川嶋 亨さん)
一方で、小学生の頃から野球に打ち込んでいた。高校ではキャッチャーで四番。主将も務めるチームの大黒柱で、名門大学からも声がかかった。
「野球も続けたいけど、料理人も気になっている。親に時間をくれと頼み込み、野球の強い短大で、将来役立ちそうな経営学を専攻したんです。一人暮らしを始めて自炊にはまり、周囲に振る舞ったりするうちに、料理人になりたいという想いが確信に変わりました」
日本料理の基本をみっちり細かく教われたことが、今でもベースになっている。
料理を学ぶにあたり、短大卒業後はエコール 辻󠄀 大阪の辻󠄀日本料理マスターカレッジへ。日本料理しか頭になく、迷わず選択した。
「レベルの高い本物の日本料理を、本気の仲間と学べたことが一番の財産です。基本をみっちり細かく教われたことが、今でもベースになっていますし、味覚も鍛えられました。技術面でもマンツーマンで親身に指導してもらえて…。先生方の圧倒的なスキルや知識、カリスマ性にふれ、日本料理への想いもますます強まりました」
加えて外来の特別講師たちが話してくれた現場での経験談から、実際の職場がイメージできるようになったのも大きな収穫だったと振り返る。
「挨拶や返事など社会人としての基本は、料理以前に大切なこと。働き始めてすぐは、仕事ができなくて当然です。どんな失敗をしても、元気よく素直に、謝るところは謝る。その後の修業先で親方にかわいがってもらえたのは、学生時代に心構えを得られたおかげです」
日本料理の徹底した基礎はもちろん、仕事で最も大事な土台の部分が学べた。
2006年3月の卒業後に就職したのは、大阪の『割烹 錦水』。約7年間の修業を重ねることになる。
「三十代半ばで日本料理のお店を開きたいと考えていたんですが、短大卒で周りより遠回りだったので、入ったときから幅広くやらせてもらえるところがいいと先生方に相談していました。壁にぶち当たることも多くありましたが、自分は乗り越えるのを楽しめるタイプ。試練を与えられると、自分を成長させてもらえる機会だと感じて燃えてくるのは、野球をやってきた影響も大きいと思います」
「『錦水』では、日本料理の徹底した基礎はもちろん、整理整頓や掃除の大切さ、社会人としての在り方など、働くうえで最も大事な土台の部分が学べました」
長らく後輩が入らず下積みは長かったが、その間に任されたまかないの調理で、段取りや味つけ、応用力なども鍛えられた。5年目には、大阪で活躍する料理人やパティシエを対象としたコンテスト『第1回食の都・大阪グランプリ』に挑戦。
「力試しのつもりでしたが、大先輩や有名店の料理人も参加されているなか、日本料理部門で優勝できたんです。後輩が入ってきた6年目には、いろんなポジションを任されるようになり、ほどなく親方の次、二番手となる煮方(煮物担当)のポジションに。ただ、コンテストで、総合優勝を逃したことは悔しくて…。『錦水』での最後の年、3度目の挑戦で勝ちとり、これまでの修業の成果も実感できました」
Uターン前、料理より大事といっても過言ではない、人間的な部分を教わった。
次に選んだのは、開業間もない大阪の『老松 喜多川』。大将から華やかで勢いのある日本料理を学んだという。
「ライブ感を大事にするお店で、そのスタイルを今も参考にさせてもらっています。ただ、働き始めて1年を過ぎた頃、バイク事故を起こしてしまい…。肩が動かなくなり、もう料理はできないかもしれないと医師に告げられ、このときばかりは絶望しかけました」
しばらく籍を置かせてもらったものの、「これ以上迷惑をかけるわけにいかない」と退職。1年近くリハビリに専念し、ようやく回復できた。
「ちょうどその頃、最高峰の日本料理店だと憧れていた京都の『桜田』が煮方を探していると知り、すぐ親方のもとへ。1~2カ月ほどいろんなポジションを回り、煮方に就くことを認めてもらえました。『桜田』は美意識が高く、仕事も丁寧。祭事などの文化も大切にした、総合芸術としての日本料理を学びました。今もおいしい出汁がひけているのは、大将の教えがあってこそ。料理はもちろん、器や設えやおもてなしなど全てにおいて多大なる影響を受けています。」
京都の『桜田』での修業時代(後列左から6人目)
独立開業に向け、最後の仕上げにと選んだのは、大阪の『居酒屋ながほり』。料理長として入り、経営や接客についての大事な部分を学んだ。
「人とのつながりや関わり方をとくに大切にされているマスターに、料理より大事といっても過言ではない、人間的な部分をたくさんお教えいただきました」
「その一つが、この仕事は恋愛と一緒だという考え方。人を惹きつけるには、相手を知ろうと努め、どうすれば喜んでいただけるかを突き詰める必要がありますよね。“素直・謙虚・感謝”を座右の銘にするようになったのも、『居酒屋ながほり』での経験があってこそ。この気持ちを忘れないよう、『一本杉 川嶋』の看板はマスターに書いてもらったんですよ。毎日、お店の看板に明かりを灯すたびに、初心に返れます」
語るのではなく、おいしいものをつくって人の心を動かさないといけない。
一方、『錦水』で修業をしていた2011年、故郷である「能登の里山里海」が世界農業遺産に選定。これから地元が盛り上がっていくのだろうと喜ばしく感じていた。
「だけど全然良くなっていかない姿を遠目で見ていて…。周囲からの勧めもあり、当初は大阪での開業を考えていたんですが、自分が帰ることで微力ながらも何か貢献できるんじゃないかと思うようになり、最終的には地元での開業を決意しました」
こうして2016年の春に故郷・七尾市へ。ここでの料理人経験も必要だと、和倉温泉の旅館『のと楽』にある『割烹 宵待』の料理長に就き、生産者をはじめ地域の人々とつながりを築いていく。さらには35歳未満の料理人を対象とした日本最大級の料理人コンペティション『RED U-35』にも挑戦。2度目の挑戦となる2018年度にグランプリは逃すものの、見事ファイナリストであるゴールドエッグに選ばれた。
『RED U-35 2018』ゴールドエッグに選ばれた(写真提供:RED U-35実行委員会)
「最終審査では、能登をどうにかしたいという気持ちが先走りすぎたんですよね。料理人はその語りではなく、おいしいものをつくって人の心を動かさないといけない。だからこそファンが増えるし、言葉にも影響力が出てくる。そういった、負けたからこその気づきもありました。参加したことで、結果、能登のことを発信できる仕事のチャンスもいただけたし、何より同世代の仲間ができたことが良かったです」
築80年の有形文化財でもある元万年筆屋をリノベーションした店舗 窓がペン先の形になっている
生産者が必死につくった食材に対して、妥協は一切できない。より髙みをめざして。
『一本杉 川嶋』をオープンさせたのは35歳のとき。三十代半ばで開業という目標を実現させることができた。
一本杉川嶋の建物を模した一斗缶で藁焼き
「一本杉は祖父母の家の近くにあるなじみの通りで、僕が幼い頃はにぎわっていたんですよね。その活気を食の力で取り戻したい。店名に一本杉と入れたのは、この地名を祇園や銀座のようなブランドにしたかったからです。その想いを商店会の会長さんである『高澤ろうそく』さんに伝えたところ、うちのオープンに合わせて“一本杉”というろうそくをつくってくださいました」
『一本杉』という名のろうそく 料理をプレゼンテーションする際にはこのろうそくを灯す
「料理や店づくりも本質的なことにこだわりたい。その気持ちにご賛同くださった、一本杉通りの醤油店、昆布店、お茶屋さんなども、ご協力くださるようになりました」
開業後、生産者との関わりもさらに密になった。休日も含め毎日のように通い詰め、関係を深めている。
大根、蕪、白菜などの生産者さんと
「コミュニケーションを大事にすることで、生産者さんのマインドも間違いなく変わってきています。どういう料理にして提供し、お客さんの反応がどうだったかを話すと、より良いものをつくろうと努力される。さらにこうなればうれしい、という話をすると、皆さんプロだから燃えてくださるんですよね」
『加賀蓮根』生産者の川端さんと
より良くなった食材が手に入り、 より良くなった料理を出す、という好循環。意欲的に協力してくれる生産者の数も増えてきているという。
地元の鳥飼漁師さんと
「予約のとれない店だと言われるようになりましたが、これって僕の力じゃなく、地域の方々、生産者さんのおかげだと綺麗事じゃなく思っています。生産者さんとの信頼関係をしっかり築き、ありがたいことに今では「能登で良い食材は川嶋のところへ」という流れができました。そうやって必死につくってくださったものを適当に扱うわけにいかない。妥協は一切できませんし、それだけ情熱を込められるから、当然、いい料理にもなりますよね」
自店で子どもたちに日本料理を体験してもらうイベント
能登地域が未来も持続していくには、どうしたらいいかを有志グループで思案。
過疎化、自然災害、害獣問題、とりまく環境…さまざまな要素が絡み合う、地方創生の問題。地域活性化は、ただ、おいしいものをつくるだけで解決できるような、簡単な問題じゃない。そう気づいたとき、力を入れようと考えたのが食育だった。小学校への出張授業や、自店で子どもたちに日本料理を体験してもらうイベントなどを積極的に行っている。
中能登中学校給食センターとコラボ
「1~2年後ではなく、5年後、10年後、20年後を見据えたとき、いかに今の子どもたちにまちへの興味関心をもってもらうかが重要になってきます。子どもが変われば、親も変わるし、地域の未来も変わると思うんですよね」
『NOTOFUE(ノトフュー)』のメンバーと
2022年には、石川県の名だたる料理人たちとともに『NOTOFUE(ノトフュー)』という団体を設立。生産者とタッグを組んで、さまざまな問題解決に取り組もうという有志が集まった。
仲間たちと(一本杉通りで食のフェスタ『うますぎ一本杉』にて)
「これまで捨てられていた魚を使ったレシピを監修したり商品にしたりと、能登地域が未来も持続していくためにはどうしたらいいかをチームで考えています。一人では成り立たなくても、10人のシェフが集まれば事業になる。影響力のある料理人がたくさん集まって活動すれば、良い成果が得られると思うんです」
一本杉通りで食のフェスタ『うますぎ一本杉』のフライヤー
料理は人を笑顔にできる最大のキラーコンテンツ。思いと覚悟で夢は必ず叶う。
このまちを、スペインのバスク地方にある“美食の都”、サン・セバスチャンのようにしたい。開業前から訴え続けたその想いが多くの人を巻き込み、2022年の11月3日には、一本杉通りで食のフェスタ『うますぎ一本杉』を開くに至った。
一万人以上を集客した一本杉通りで食のフェスタ『うますぎ一本杉』の様子
「ミシュランの星付きレストランや露天商の方にも声をかけ、トータル100店舗ぐらいが参加する大きなイベントになりました。来場者数は予想をはるかに超えて1万人以上。長年住まわれている方が、こんなに人が集まったのは初めてだと驚かれていました」
「とても反響が大きく、これから毎年、開催する予定。ご賛同くださる方がどんどん増えてきて、まちが変わってきているのを実感しています。こういった活動を通じて、七尾の魅力に気づき、七尾に残りたい、戻ってきたいと思う若者が増えてほしいですね」
能登地鶏玉子豆腐 鱧葛叩き つるむらさき すすき柚子
『一本杉 川嶋』の客層は、地元が3割、中距離が3割、県外が4割。この割合は、オープン時から変わっていないとのこと。
「とてもバランスよく来店いただいていて、ありがたいです。能登の最果てにある七尾まで来てくださった方を、絶対にがっかりさせたくありません。能登の素晴らしい食材を全国の人に知っていただきたいし、地元の方にも気づいてもらいたいです」
胡麻豆腐 思い入れの強い一品
料理のことだけを考える修業時代も楽しかったが、周囲を幅広く見られるようになった現在では、また違う楽しみが増えてきた。人と関わると料理が楽しくなる。誰かのために頑張ると熱量が変わり、その気持ちや背景を考えることで結果的に料理も良くなったと、川嶋さんは語る。
秋の八寸盛合せ
「自分の気持ちひとつで、料理はどこででもできる。料理は人を笑顔にできる最大のキラーコンテンツです。文字どおり無限大の可能性があります。思いと覚悟さえ持ち続ければ、夢は必ず叶うと断言できる。修業時代はつらいこと多いでしょうが、その経験が種となり実となり、いつか必ず花が咲きます。料理人は楽しくて最高にやりがいのある仕事。料理の道を志す若者には、絶対におすすめだから、この職業を選んだのは間違いじゃない、僕を見てください!と伝えたいですね」
エコール 辻󠄀 大阪
辻󠄀日本料理マスターカレッジ
(現:辻󠄀調理師専門学校)
日本料理の奥深さにふれながら、1年間で徹底的に本物の技術を学びとる。
ほんものの味を知り、表現する方法を自らの五感で学びとる。
奥深い日本料理の道を極めていくための確かな基盤と自信を築き上げる。
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