No.177
技術の向上も私生活の充実も、両方かなえるために。パン職人としての未来を拓くのに必要なことを、スターバックスの新業態から示す。
スターバックスコーヒー ジャパン株式会社 戦略推進本部 プリンチ事業部 部長
松田 武司さん
profile.
奈良県大和高田市出身。奈良県立耳成高等学校(当時)から、エコール・キュリネール大阪あべの辻󠄀製パン技術専門カレッジ(当時)に進学。1996年に卒業後、『パン工房 麦の花』に就職。その後、『ヴィロン』ブーランジェリー部門のグランドシェフを経て、2018年にスターバックス コーヒー ジャパン株式会社に入社。『プリンチⓇ』の日本のヘッドシェフに就任。2025年には「FIPGC パネットーネ ワールドカップ」の日本代表選考会で選出され、2026年10月の世界大会に出場予定。
access_time 2026.05.18
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
24時間稼働の現場で次を考える
スターバックスコーヒー ジャパンとのコラボレーションにより日本へと進出したイタリア・ミラノ発のベーカリー『プリンチⓇ』。2019年2月に東京・中目黒の『スターバックス リザーブⓇ ロースタリー 東京』への出店で日本初上陸し、同年7月には日本初の単独1号店『プリンチⓇ 代官山T-SITE』をオープン。
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
次々に店舗展開を進め、2026年4月には、大阪に『スターバックス リザーブⓇ カフェ』2店舗が誕生し、『プリンチⓇ』の味が楽しめる場所が、国内で16店舗となった。
『プリンチ キッチン』
東京・品川のセントラルキッチン『プリンチ キッチン』では、店舗向けの商品に加え、スターバックスのカフェベーカリー向け商品などの製造も行っている。夜中の便から昼前の便まで焼き上がりに合わせて現場が動き、その後は翌日の仕込みへ。
『プリンチ キッチン』
「パン、菓子、料理、サポートの各チームが入り、24時間、シフトで割り当てられたスタッフが動いています。でも、まだフル稼働というわけではないですね。ここがマックスになったとして、その先どうしていくかは、これからです」
『プリンチ キッチン』
そう話すのは、スターバックス コーヒー ジャパンの新業態推進本部長である松田武司さんだ。『プリンチⓇ』のヘッドシェフとして、この現場と本社のある目黒を行き来しながら、商品開発や製造管理、品質統括や職人育成などを担っている。
『プリンチ キッチン』
駅前のパン屋が進路を変えた
奈良県大和高田市出身。小学校から野球を続け、進学校に進んだ。数学と理科が得意で理系を選択したが、その頃はまだ、はっきりとやりたい仕事があるわけではなかった。
「『何もやりたいことがないなら、放射線技師を目指してはどう』って母親から言われて。なんとなくそっちの大学に行くって話はしていたんです」
『プリンチ キッチン』
転機になったのは高校2年生の頃。野球部の朝練に向かう際、駅から学校までの間にあったパン屋を、夫婦で切り盛りしている様子が強く印象に残ったという。
「朝が早すぎて、開いているのがパン屋しかなかったんですよ。楽しげな様子を見て、夫婦でこういう店をやるのもいいな、と思って」
『プリンチ キッチン』
その印象のまま、エコール・キュリネール大阪あべの辻󠄀製パン技術専門カレッジ(当時)の体験入学に参加。そこで聞いた「パンは、料理やお菓子など他分野の経験だけでは対応しきれない分野である」という話に惹かれ、入学を決意した。
「手に職をつけて世界を広げられるのはかっこいいなと。親には泣きながら猛反対されました。だけど最終的には、僕が初めて示した『この道に進みたい』という意志を尊重し、進学を認めてくれたんです」
『プリンチ キッチン』
学校で覚えたことは、あとで効く
エコール時代は「平凡な学生だった」と振り返る。1年間の課程で印象に残っているのは、実習の時間。ものづくりの面白さを、まずは体で覚えた。
「実習は楽しかったですね。みんなで一緒につくって、持って帰って『美味しい』って言ってもらえるのは大きかったです」
就職先は地元奈良で探し、大阪にも店舗を構える『パン工房 麦の花』を志望。カフェも手がけるベーカリーで、工場型ではなく、レストランやバーまで併設する当時まだ珍しかった業態に惹かれたという。だが、実際の現場は学校とはまるで違った。
『プリンチ キッチン』
「学校では、何品かを一日かけてみんなでつくる環境でしたが、現場では少人数で朝早くから夜遅くまで働く日々でした。あまりの大変さに、あれほど反対されながら学費を出してもらったにもかかわらず、3日で辞めようと思ったほどでした」
同期はおらず、直属の先輩は1カ月後に退職が決まっていた。引き継ぎを終えたら、あとは自分でどうにかするしかない。仕込み、折り込み、成形、焼成を繰り返すなかで、学校で学んだことが少しずつ別の意味を持ち始める。
『プリンチ キッチン』
「自分で考えるようになって初めて、授業で学んでいたことを見直すようになったんですよね。基礎がなければ、何を振り返っていいかもわからない。目の前の仕事に結びついて、『そういうことだったのか』と腹落ちすることが数多くありました。学校を出ているのと出ていないのとでは全然違っただろうなと、現場に出てから気づけました」
『プリンチ キッチン』
コンテストが自分の世界を広げた
転機が訪れたのは25歳のとき。フランスで経験を積んだ安倍竜三シェフが戻ってきたことで、パンとの向き合い方が変わっていく。安倍シェフは15歳でパン職人の道に入り、19歳で『パン工房 麦の花』の統括責任者に就任。その後フランスに渡り、小麦を扱う研究機関で学びながら、M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)を持つ職人らのもとで経験を重ねた人物だ。
「年齢は2つしか違わないんですけど、パン歴が全然違う。技術も知識もまったく違いました。その安倍シェフから『コンテストに挑戦してみては?』と言われて、参加するようになったんです」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
現場では決まった商品を安定してつくることが大事になるが、コンテストでは何をどうつくるか、どんな配合でどんな工程にするかを自分で組み立てなければならない。そこで初めて、理論をもとに考えながらつくることの意味が明確になった。
「普段の仕事では、決まったものをつくるじゃないですか。何から何まで考えてつくる経験として、コンテストが成長の場になりました。『なぜこうなるのか』『どうすれば良くなるのか』という疑問に対して、先輩から言われるのは理論的なことばかり。そのたびに昔の教科書を読み返していました」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
コンテストは、外の世界を知るきっかけにもなった。決勝に残れば、全国から集まった職人たちと知り合える。講習会や展示会、デモンストレーションの仕事にもつながっていった。
「横のつながりって、やっぱりコンテストに出ないとなかなかできないんですよね」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
東京で知った、育てることの難しさ
その後、独立した安倍シェフ経由の声かけで、フランス発のブーランジェリー・パティスリー『ヴィロン』へと移り、ブーランジェリー部門のグランドシェフに就任。東京・丸の内で新たな店舗を立ち上げるにあたり、任せられる人を探していたという。
『ヴィロン』時代
「それまで日本のパン屋だったのが、フランス小麦を使いフランスの製法でつくるようになったので勝手は違いましたが、仕込みや焼成のような基本的なことはそれほど変わりません。基礎から積み上げてきた理論がわかっていれば応用も可能です。実務で吸収しながら慣れていけば、工程もよりスムーズになる。商品開発の際にも、どんどんイメージを具現化できるようになっていきました」
『シジェップ インターナショナル ベーカリー カップ』3位入賞
世界大会への挑戦も、ここからさらに本格化する。始発から終電まで、仕事をしながら試作を重ねるという生活は過酷を極めたが、その積み重ねが表彰台につながった。2016年にはイタリアで開かれた「シジェップ インターナショナル ベーカリー カップ」で世界3位、2017年にはフランスで開かれた「モンディアル・デュ・パン」で日本人初の準優勝を果たした。
『モンディアル・デュ・パン』準優勝
「フランスには親も呼んでいたんですよね。世界大会に日本代表として出て、表彰台に上がるところを見せられたとき、めっちゃ泣かれて、やっと親孝行できたというか。この道に進んで良かったなとあらためて思えました。チャレンジしなければ、その道は広がらない。だから絶対、やらないよりやったほうがいいと思うんです」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
挑戦を重ねるうちに、見える世界はさらに広がっていった。その経験から、後進の指導に関しても、松田さんはコンテストへの挑戦を奨励した。しかし一方で、働き方の前提は少しずつ変わっていく。仕事を終えたあとに厨房で練習を続けることが、以前のようにできなくなっていったからだ。
「学びたい意欲のあるスタッフに教えたくても、特別扱いだと受け取られることもある。コンテストに向けた練習のためであっても、厨房に残る以上、労災の問題も出てくる。次第に葛藤が増えていきました」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
技術も生活も、どちらも諦めない
存分に技術が磨け、コンテストなどにも挑戦できる一方で、自分の時間が持て、暮らしも守られている。すべてを満たす環境は、そう簡単にはつくれなかった。スターバックスから声がかかり、2018年に『プリンチⓇ』の日本のヘッドシェフに就いた背景には、一連の問題意識があった。
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
「パン業界全体に関わるような活動を自由にできること、そして働く時間のなかでコンテストに挑戦できるような育成を行えること。条件としてそれらが叶うなら考えます、と伝えました」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
フランスのパンからイタリアのパンへと軸足を移す際にも、これまでの挑戦で得てきた技術や知識が力となった。現地イタリアから小麦粉を輸入する形では高価になりすぎてしまい、安定的な供給も難しい。日本での製粉や調合で再現し、イタリアの製法を守ることで創業者からの合格を獲得。翌年の出店へとつながった。
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
「おいしいものをつくるのは当たり前。そのうえで売上げを伸ばし、事業を良くして、会社に貢献する。それができなければ自分の声も通らないし、めざす世界はつくれないんですよね」
コンテストへの参加は積極的に後押しすると共に、商品開発においても、スタッフ全員が一から考える機会を現場で増やしている。そうして、それぞれが戦える土台を整え、若いスタッフが年齢を理由にチャンスを逃がすことが無いよう心がけていると言う。
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
「メーカー主催のコンテストで優勝するなど、スタッフの結果も出るようになってきています。周りにそういうメンバーがいると、自分もやってみようかな、という空気になる。とても好循環だと思っています」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
パンから広がる世界を、次の世代に
2025年に行われた「FIPGC パネットーネ ワールドカップ」の日本代表選考会では、「パネットーネ イノベーション&チョコレート部門」1位、「パンドーロ部門」3位を受賞。優勝したのが、日本の『プリンチⓇ』で開発し、2022年から販売してきた商品だったことも大きな喜びとなった。2026年10月には、日本で初開催される世界大会に、チョコレート部門で参加する。
「FIPGC パネットーネ ワールドカップ」の日本代表選考会で「パネットーネ イノベーション&チョコレート部門」1位、「パンドーロ部門」3位を受賞
「世界的なコンテストで戦うには、菓子や料理の視点も欠かせません。たとえばパンの具材に使うチョコレートにしてもカスタードにしても、自分たちよりパティシエがつくるもののほうがおいしいんですよね。サンドイッチなど惣菜や塩味が関わる分野では、料理人の知識や技術が重要になってくる。ほかのジャンルの専門性が生きてくるのも、パンの世界の面白さです」
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
一方で、発酵と向き合い、待ち、見極め、積み重ねていく工程の奥深さは、やはりパンならではのもの。今もなお製法は進化し続けている。その奥深さゆえに、時間をかけて学べる環境も、挑戦を続けられる職場も必要になる。
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
「ここに来れば技術も上がるし、見合った待遇が得られるし、休みもとれて自分の時間も持てる。そんな職場として示せれば、これから先、業界への貢献にもなるんじゃないかなと考えています」
『プリンチ キッチン』
現在はパン職人の国際交流や若手育成に関わる協会でも副会長を務め、講習会やワークショップ、代表チームの指導などにも携わっている松田さん。その先にあるのは、製パンの世界で働く人たちに、次の選択肢を残したいという考えだ。
『プリンチⓇ 代官山T-SITE』
「企業に入るのもいいし、自分の店を持つのもいいし、どこかのシェフを務めるのでもいいんです。海外で挑戦したい人だっているでしょう。だけど選択肢が一つしかなく、嫌になって辞めてしまったり、職人レベルを下げてまで転職したりするのは、本当にもったいない。ちゃんと成長ができ、家族も含めて幸せになれる環境を、この業界の当たり前にしたいんですよ」
エコール・キュリネール大阪あべの辻󠄀製パン技術専門カレッジ
パン技術者に必要な技術と知識を学ぶ
パンを中心に、製菓、デリカテッセンを含め、
パン技術者に必要な技術と知識を1年間で学ぶ。
1年間みっちりのスペシャリスト教育。
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