INTERVIEW
No.072

故郷での新たな挑戦となるフランス料理。同世代の力を結集させ、佐渡島の魅力を発信していきたい。

Ryokan浦島 フレンチレストラン『ラ・プラージュ』シェフ

須藤良隆さん

profile.
新潟県佐渡市出身。佐渡島内の高校を卒業後、大阪の辻󠄀調理師専門学校へ進学。在校中からフランス料理店『ビストロ・ヴェー』で修業に励む。2011年3月の卒業後は長野・軽井沢の『オーベルジュ・ド・プリマヴェーラ』で働き、10月から辻󠄀調グループ フランス校(秋コース)へ。リヨンの三つ星レストラン『ポール・ボキューズ』で研修を行う。2012年8月に帰国し、家業である「Ryokan浦島」に新設されたフレンチレストラン『ラ・プラージュ』に就職。スーシェフを経て、2015年9月よりシェフを務める。
access_time 2018.09.07

大好きな故郷・佐渡島で料理をしたい。それが幼い頃からの夢だった。

新潟県の離島、佐渡島の中央西部に位置する「Ryokan浦島」。2012年に増設された東館の目の前には、文豪・尾崎紅葉が歌に詠んだ「越の松原」が茂り、その先には穏やかな遠浅の真野湾が広がっている。1階にあるのは、“浜辺”という名のフレンチレストラン『ラ・プラージュ』。浦島の会長を伯父、社長を父にもつ須藤良隆さんがシェフを務めている。
「幼い頃からよく手伝っていたんですよ。厨房に入って洗い物をしたり、お皿を並べたり…。朝から市場へ行くのも面白く、喜んでついて行っていました。父の料理姿が、とてもかっこよく見えていたんですよね。いろんな人から頼りにされている様子にも憧れ、料理人になることが将来の夢でした」
長男である義務感からではない。当時から自然に恵まれた佐渡の環境が大好きで、気がつけば「この場所で料理をしたい」と思うようになっていた。
「跡を継げとは誰からも言われていません。そりゃあ手伝いがいやなときもありましたよ(苦笑)。夏休みとか、みんなが遊んでいるときに忙しい仕事なので…。だけどたくさんの人がわざわざ足を運び、父の料理で喜んでくれているのが、子どもながらにうれしかったんです」
コックコートのお父さんに抱っこされて

その美しさに魅了され、家業の和食とは違うフランス料理の世界へ。

「高校卒業後、調理師学校に進むことは中学時代から決めていました。選んだのは、叔父の母校である辻󠄀調理師専門学校。『料理人になるなら、食の都である大阪で学んでこい』と勧められ、迷いはありませんでした」
学生時代(辻󠄀調グループ フランス校)
視野を広げたいからと、和洋中のすべてが学べる調理師本科を選択。なかでも今まで親しみのなかったフランス料理の美しさに魅了される。当時の浦島は和食が中心。ウエディングも和懐石を提供していたため、フレンチを始めれば展開が広がるだろうという考えもあった。
学生時代(辻󠄀調グループ フランス校)
「それで入学直後から、先生の紹介でフランス料理店『ビストロ・ヴェー』へアルバイトに行くようになりました。オーナーの阪本(雅己)シェフも辻󠄀の卒業生だったんですが、妥協を許さない方でとても厳しかったです。だけど勉強してうまくなりたいと思っていましたし、シェフのことも大好きだったので頑張れました」
佐渡産真鯛のガトー仕立て 季節の彩りを添えて

思いを込めた皿とはどんなものか…料理との向き合い方まで学べた。

専門学校での学びは、何もかもが新鮮で楽しかった。学生時代に吸収した各分野の基礎が、現在にもつながっている。
「フレンチをつくるうえで、和食や中華がヒントになることもあります。食材の組み合わせ方や調理法などが応用できると、勉強しておいて良かったなと感じます」
佐渡産コシヒカリの米粉パン
在校中、辻󠄀調グループのフランス校なら星付きレストランでの研修も可能だと知り、進学を志望。
「フランス校出身でもある阪本シェフから『本場は食材も何もかも全然違うぞ』なんてお話を伺い、憧れをもつようになりました」
留学費用を貯めるため、10月出発の秋コースを選択。本科卒業後の半年間は、長野・軽井沢の『オーベルジュ・ド・プリマヴェーラ』で住み込みのアルバイトをした。
佐渡産島黒豚のリエット 竹炭のサブレとともに
「小沼(康行)シェフの料理はとても手が込んでいて、美しいんです。仕込みや皿洗いはもちろん、先輩たちの補助や前菜などを担当させてもらいましたが、寸分違わず盛りつけないと認められません。思いを込めた皿とはどういうものなのか、シェフの気持ちや考え方も含めて勉強になりました」

三つ星を50年以上にわたり守り続ける『ポール・ボキューズ』の衝撃。

念願だったフランス校での毎日は、とても濃密なものだった。やる気に満ちた仲間ばかりで、おおいに刺激を受けたという。
「レストラン形式の実習がメインで、とにかく実践力が鍛えられました。友人たちと朝から晩まで料理の話をして楽しかったですし…。四六時中、料理のことを考えて追究できた、貴重な時間でした」
学生時代(辻󠄀調グループ フランス校)
休みの日は、さまざまな店を食べ歩く。なかでも印象深かったのは、日本にいる頃から憧れていた『ポール・ボキューズ』。ミシュランの三つ星を50年以上にわたり守り続けている名店の料理は、とても衝撃的だった。
「辻󠄀の先生から“一口食べてうまいと思わせる料理”をめざすよう言われたことがあったんですが、まさにその通りのインパクト。一つひとつの素材が際立っていて、主張してくるような…。何から何まで迫力が違いました」 
ポール・ボキューズ氏と
だからこそ『ポール・ボキューズ』の研修生に選ばれたときは、感動もひとしおだった。パティシエを含めさまざまなポジションを回らせてもらえたなか、メインで担当したのは魚料理。看板メニューであるスズキのパイ包み焼きにも携われた。
M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の一人、ジル・レナルトさんと
「フランス語は苦手でしたが(苦笑)、皆さんからとてもかわいがってもらえて…。研修が終わる頃、お店にいたM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の一人、ジル・レナルトさんが最後にくださったコックコートは、一生の宝物。今年(2018年)1月に亡くなられたボキューズさんから、『ボン・クラージュ!(頑張って!)』と声をかけてもらったのも、かけがえのない思い出です」
中央須藤さんの向かって左がポール・ボキューズ氏、右がジル・レナルト氏

世界的に有名なシェフの来島により、佐渡の魅力を再認識できた。

帰国したのは2012年8月。忙しい時季だったこともあり、すぐさま「Ryokan浦島」が新設したフレンチレストラン『ラ・プラージュ』に入ることとなった。
「特に相談もなく、留学中に完成していたんですよ(苦笑)。外で修業を重ねてから戻ってこようと考えていたので、葛藤もありましたが、大好きな佐渡で働けるのは幸せなこと。先に働かれていたシェフのもと、学び始めました」
『DINING OUT SADO』髙澤義明シェフと
約1年後、「ダイニングアウト」という地域振興プロジェクトへの参加で、大きな刺激を受けることになる。各地域で自然、伝統文化、歴史、地産物などから、新しい地域価値となるオリジナルコンセプトを導き出し、期間限定の野外レストランを開設するという全国規模の企画。東京・赤坂『TAKAZAWA』の髙澤義明シェフが佐渡島を担当し、2013年9月に『ラ・プラージュ』とタッグを組んで以降、毎年コラボレーションが続いている。
『DINING OUT SADO』で提供した料理 南蛮エビとパプリカ 〜夏の終わりの打ち上げ花火〜
「エビをペーストにしてシート状にするなど、その発想も味つけも飾りつけも目から鱗の連続。オール佐渡の食材で構成される料理には、新しい発見がいくつもありました。島内にいながらにして、世界的に有名なシェフから吸収できるのはありがたい。佐渡はこれだけの魅力があるんだと、再認識できました」

ここから佐渡を盛り上げることで、地域活性化の一助にもなれる。

「Ryokan浦島」で営業広報を務める岩﨑貴大さんは、須藤シェフと保育園から高校まで同じだった幼なじみ。島外の製菓専門学校を卒業後、レストランパティシエとして就職したものの、故郷のために何かをしたいと、佐渡市の「地域おこし協力隊」への参加を希望し、Uターンしてきた。
岩﨑さんの地域おこし協力隊時代
「担当地区の農産物をバックアップする活動を行っていて、『ラ・プラージュ』でも使ってもらっていたんですよ。ただ、任期が3年間だったので、その後どうしようかと考えていたところ、須藤に声をかけてもらい、2016年8月から浦島で働き始めました。ここから佐渡を盛り上げることで、地域活性化の一助にもなれるかなって」(岩﨑さん)
最上唯さん
厨房で製パンを一手に引き受け、調理や製菓の補助も行う最上唯さんも、2人と高校まで共に過ごした同級生。製菓専門学校を卒業後、横浜のブーランジェリーで4年間、修業を重ねたのち、『ラ・プラージュ』で働くこととなった。
「今は産休中の妹が先にここで働いていて、縁がつながりました。実家の都合で帰郷することになったんですが、気心が知れた仲間と一緒になれて心強い。とても働きやすい環境です」(最上さん)

何もないなかから自分で発想する力を学生時代に養えた。

一方、パティシエールの北村恵里さんは、辻󠄀調グループのフランス校で須藤シェフと同時期に学んだ同期。地元である愛知県のパティスリーや東京・恵比寿のフランス菓子専門店で経験を重ね、2017年9月から『ラ・プラージュ』でデザートを担当するようになった。
北村恵里さん
「『佐渡の特産物を使ってほしい』というリクエストはあるものの、基本的にすべて任せてもらっているので責任重大。その分、とても面白いです。今メニューを考案できているのは、何もないなかから自分で発想する力を学生時代に養えたおかげ。学んできて良かったなと、ここに来て改めて感じています」(北村さん)
左から須藤シェフ、北村さん、岩﨑さん

食にかかわる仕事には、いろんな選択肢がある。

仕事における大きなやりがいは、人に喜んでもらうこと。その想いはスタッフ全員に共通するところだ。
「『佐渡にもこんなところがあるんだ』と感動してくださる島外のお客様も多く、うれしくなります。召し上がった方の笑顔を見ると励みになる。とてもわかりやすく、気持ちのいい仕事です」(須藤さん)
島黒豚の骨付きロースト
「お客様はもちろん、食材を提供してくれる生産者さんに喜ばれることもやりがいになっています。食にかかわる仕事には、いろんな選択肢がある。形は違っても、その楽しさを味わえていることが幸せです」(岩﨑さん)
「『おいしかった』と言っていただけると、前を向く原動力にもなります。新たな発想を表現できるのは、とても面白い。それに対する反応もダイレクトにわかって楽しいです」(北村さん)
都会にいたときは日々時間に追われ、気持ちの面で迷子になりかけていたと語る北村さん。佐渡に移住した今、落ち着いた環境で働けていることが、何より幸せだという。
「私たちの提案や意見をちゃんと受け止めてくれるシェフだからこそ、みんなで成長できている実感があります。一時は諦めかけていたパティシエールの仕事を続けられているのも彼のおかげ。照れくさくて本人に直接言ったことはありませんが、実はものすごく感謝しているんですよ(笑)」(北村さん)

一度離れたことで、故郷がもつ自然や人の魅力に気がついた。

佐渡は食材に恵まれ、その質も高い。北村さんは言う。
「佐渡島に来て意外だったのは、お店など本土となんら変わらない環境が整っていたこと。最も驚いたのは、食材に恵まれていたことです。お米はもちろん、多種多様の野菜や果物がつくられていますし、魚介類や肉類も島内でまかなえます。品質的にも素晴らしくて特徴がある。たとえば佐渡のいちごは酸味が強いから、食後にはもってこい。フランス料理のあとに食べるデザートとしてアレンジしやすいんです」(北村さん)
その話を受け、佐渡島の実情は誤解されることが多く、まだまだ知られていないと岩﨑さん、須藤さんは語る。
「佐渡って何もないところだと思われがちなんですよね。かくいう僕も、もともと島への劣等感があって、早く出たかったんです。だけどここは、海も山も身近で、水も空気も食べ物もおいしい。離れたことで、自然や人の魅力に気がついたんです。島民の多くは高校卒業と同時に島を出て、そのまま島外で暮らしますが、僕らの世代は結構戻って来ているんですよね。だからこそ力を合わせて、佐渡の未来を切り拓いていきたいです」(岩﨑さん)
Ryokan浦島のすぐ前の真野湾の浜辺で
「なんでも言い合える仲間と一緒なのは本当に心強いです。食材の豊かさはもちろん、島へ帰ってきて改めて感じたのが、佐渡の景色の美しさ。たとえば真野湾の浜辺に見立てて一皿を構成するなど、自然のなかで受けたインスピレーションからメニューが浮かぶこともあります。それってとても贅沢で、幸せなことですよね」(須藤さん)
佐渡にとって、子どもの減少や若者の流出は深刻な状態だという須藤さん。
「うちの厨房も人手不足です。『佐渡で活躍したい』と思ってもらえるよう、もっともっと努めていきたい。料理人は場所を選ばない仕事です。世界中のどこでだって活躍できます。その強みを活かし、ここでしか創造できないフランス料理を通じて、佐渡の魅力を発信していきたいです」(須藤さん)

須藤良隆さんの卒業校

辻󠄀調理師専門学校 launch

辻󠄀調グループフランス校 フランス料理研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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