INTERVIEW
No.117

きっかけは少しの好奇心。経験を通じて人とのつながりの大切さが身にしみたからこそ、愛する地元に“想いをつなぐ”洋菓子を伝えたい。

菓子職人の小屋 デタント オーナーシェフパティシエ

相森真一さん

profile.
佐賀県出身。佐賀県立杵島商業高等学校を卒業後、大阪・辻󠄀製菓専門学校に進学。辻󠄀調グループ フランス校への留学を経て、2001年、東京・駒沢の『パティスリーナオキ』に就職。約6年間の修業を積み、2007年に大分の『スイーツダイニング 2月14日』へ。その後、実家に戻って農機具小屋を改装し、2008年9月、『菓子職人の小屋 デタント』をオープン。
access_time 2020.07.10

菓子職人の活躍する姿に興味がわき、未知だった製菓の世界へ。

出身は佐賀県の西部、武雄市。将来を具体的に描いてもいなかった高校時代、ふと目にしたテレビ番組に感じるものがあった。
「『TVチャンピオン』のケーキ選手権という企画で、当時、ホテルニューオータニ(幕張)のシェフパティシエだった横山(知之)さんが優勝されたんですよ。未知の世界だったから、男性がお菓子をつくっていること自体にも衝撃を受けて。かっこいいなと思っていたら、親の知人が、横山シェフの母校でもある辻󠄀調グループのパンフレットを見せてくれたんです。まだ進路のことも考えていないなか、突然現れた選択肢でした」
興味をひかれ、大阪にある辻󠄀製菓専門学校のオープンキャンパスに参加。そこで体験したシュークリームづくりが面白く、そのおいしさにも感動した。
「異次元の世界を感じましたよ。そのときバニラビーンズを初めて知ったんですけど、帰ってすぐ地元のケーキ屋さんに行き、同じものが入っているとわかっただけで感激して (笑)。特別製菓に対して強い意志があったわけではなかったんですが、人と違うことをしたいという気持ちもあって、進学を決めました」

すべてが新鮮な学び。知らないことだらけで、何もかもが面白かった。

いざ学び始めると、すべてが新鮮で楽しかった。入学直後にフランス校の存在を知り、留学することが一つの目標になった。
フランス校時代
「知らないことだらけで、何もかもが面白かったです。なんせお菓子のことだけを勉強すればいいわけですからね(笑)。生まれて初めてファイルやバインダーを買って、絵を描きながらケーキのつくり方を記したりしていました。せっかく製菓の道を進むなら、本場のフランスで学びたい。素直にそう考え、そのために高校までじゃ考えられないぐらい、予習復習も毎日頑張りました」
フランス校時代 ロアンヌの『フランソワ・プラリュ』での実地研修
1年間の課程を経ていざフランス校に留学すると、同級生たちのレベルの高さに圧倒された。
「積極的に学ぼうとする人たちの集団で…。製菓の男子が3人だけだったんですが、ほかの2人が優秀すぎて…(苦笑)、ついていくのに必死でしたが、楽しかったです。料理人の親しい友達もできて、レストランへの食べ歩きにも行きました。食べたことのないようなフランス料理にも衝撃を受け、毎日が驚きの連続でした」
入学後、約半年で始まる実地研修では、ロアンヌの『フランソワ・プラリュ』へ。しかしリヨンから移動した初日に、迷子になってしまったという。
「わからないから誰かに訊くしかない。おかげで物怖じしなくなりましたね。お店は工房みたいなところだったんですが、プチフールを仕上げたり、ひたすらスペシャリテ(看板メニュー)だった赤いプラリネのブリオッシュやマカロンをつくったりして楽しかったです。繰り返すうちに要領もつかめ、日に日に早くつくれるようにもなりました」

東京で身につけた技術を、地元九州で応用できるように学ぶはずが…。

とても濃密だったと振り返る、およそ10カ月間の留学。帰国後は、足を運んで惹かれた東京・駒沢の『パティスリーナオキ』に就職する。
「なかでも印象的だったのがショコラルージュ。層がぴしっと分かれていて、とてもきれいだったんですよね。(長谷部直生)シェフは、とても穏やかな人。厳しく感じることもありましたが、改めて思えばめちゃくちゃ優しく教えてくれ、兄貴のような存在でした」
約6年間ですべての持ち場を担当し、技術を習得。結婚するタイミングで、九州へ戻ることにした。
「『お店をもてたらいいな』ぐらいの感じで学生時代は過ごしていたんですが、東京で働いているうちに、『お店を出すなら地元で』と思い始めて。やっぱり生まれ育った田舎が恋しかったんですよね。だけど東京のお菓子をそのまま九州に持って帰ってもだめだろうから、九州のお店で勉強させてもらいたい。そう考えていたときに知り合った、大分の阿南(喜一)シェフのもとでお世話になることにしたんです」
阿南さんがオーナーシェフを務める『スイーツダイニング 2月14日』は、とても人気が高く、目の回るような忙しさだった。そこで非常に厳しく、大きな挫折を経験する。
「東京と180度違ったんですよ。東京ではケーキがつくれるようになることを一番に考え、それを買いに来てくれるお客様がいるという感覚だったんですが、それとはまったく違う、お客様ありきな商売の仕方。今まで考えていたことと違いすぎて、親方にもついていけなくて…。1年も経たなかった2008年3月、忙しかったホワイトデーの前日に、けんか別れのような形で退職してしまったんです」

独立開業したことで気づけた、営業の厳しさ、お客様目線の大切さ。

この業界にはもう、居られないんじゃないかという不安も…だけどつくることは好きだし、親にフランス留学までさせてもらった以上、この道しかない。そう考え、製菓への想いは揺るがなかった。地元に帰り、今後のことを思い悩んでいたとき、高校時代にアルバイトをしていた飲食店のチーフだった人に声をかけられた。
「武雄市が特産のレモングラスをアピールする取り組みをしているから、何かに使ってみないかって。それでジャムをつくったら新聞に紹介され、市長にも食べてもらえたんです。いつか地元でお店を開きたいと伝えたらとても喜んでくださって…。その応援に後押しされ、独立開業を決意しました」
店舗には、使わなくなった実家の農機具小屋を活用。フランスの田舎町にあるような小屋をイメージし改装した。きっかけとなったレモングラスの効用にちなみ、店名には「くつろぎ」という意味のフランス語を。2008年9月、『菓子職人の小屋 デタント』をスタートさせた。
「おかげさまで最初の勢いがものすごく良かったんですよ。同級生のお母さん方が買いに来てくれるなど、地元だと優しく包んでくれるというか。これまで会うこともなかった旧友たちも、ケーキ屋だと来てくれるんですよね。誇らしいと周囲に自慢してくれるのもうれしい。やっぱり大好きな地元で開いて良かったです」
自身が商売を始めたからこそ気づけたのが、阿南シェフの教えのありがたさだった。「あの経験がなければ、いまのお店は絶対になかった」と断言する。
「人として大切なこと、職人としての心構え、この業界に限らない社会常識…とても大事なことを習えた、濃密な1年でした。東京にいた頃も、感謝の気持ちはもちろんありましたが、いいものをつくれば買ってもらえると思っていたので、お客様目線の意識が薄かった。お店を開き、毎日『ありがとう』と心から思えているのも、親方のおかげです」

感謝の気持ちを伝え、思い出のお菓子を受け継ぐことができた節目。

オープンから数年が経った頃、突然、阿南シェフが『デタント』を訪ねてこられた。あまりの出来事に息が詰まったというが、訪問の理由は「OB会をやりたい」という意外なものだった。
「あれほどお店を大きくできたのはOBたちのおかげだから、みんなを集めてお礼が言いたいと。とても驚きました。お店を手放し、前線を退かれていたことは知っていたんですが、怖くて謝りにも伺えなかったので…。おかげでようやく、若気の至りで飛びだしたことを心からお詫びし、感謝の気持ちを伝えることができました」
その後は阿南シェフとも親しく付き合えるようになった。しかし一つ、どうしても伝えられない願いがあった。
『マダム』ホワイトチョコを練り込んだパウンドと、オレンジリキュールのガナッシュを組み合わせている。
「『スイーツダイニング 2月14日』には、『マダム』という看板商品があったんですよ。親方が引退され、あんなにもおいしいお菓子がなくなってしまうのはもったいない。そう思いながらも、ひどい辞め方をした自分が受け継ぎたいとは言いだせない。だけどあるとき、親方のほうから『やりたい奴がいれば、マダムをつないでいってほしい』と言ってくださって…。2018年、お店が10周年の節目を迎えるにあたり、継承させてもらうことにしたんです」
包装紙は、カメラマンで瓦職人の山田脩二さんが撮影した、武雄の象徴である「御船山」の写真
山田脩二さん作の割肌ボーダー瓦が、外装と店内に使用されている
発売に合わせ、「想いをつなぐ」をコンセプトに、焼き菓子の包装紙や箱のデザインを一新。店舗のリニューアルも行った。翌年6月、フランス校の同窓会を博多で行った際には、かつての同級生たちも店へと遊びに来てくれた。
フランス校の同期の仲間たちと
「フランス校の同期で同郷の小岸(明寛)くんがシェフを務めるフランス料理店『オーグードゥジュール メルヴェイユ 博多』で食事会をした翌日、来てくれたんですが、ローソンの商品開発をしている小跡(芙美)さんや、辻󠄀調の先生になってサービスのコンテストで世界一をとった三浦(和也)くんなんかも来てくれて…。まわりのみんなが頑張っていると刺激になる。自分も負けていられないと思えます。専門学校のつながりはいまだに大事。辻󠄀に行ったからこそ出会えた仲間ですし、いまも続けていられるのは学校のおかげが大きいです」
フランス校同級生の小岸シェフと

豪雨による被害、コロナ禍…人とのつながりの大切さを再認識できた。

リニューアルから1年足らずの2019年8月。令和元年九州豪雨により、『デタント』は甚大な浸水被害を受けた。
九州豪雨直後の店内
「裏の川が氾濫し、お店のなかも相当な高さまで浸水しました。水が引いてから確認すると、予想以上の惨状。当分営業はできないのでSNSでも報告したところ、同級生みんなが心配してくれて」
見舞いに来てくれた小岸シェフと
「それこそ小岸くんが何度も様子を見に来て手伝ってくれたり、同じくフランス校の同級生だった橋本(史明)くんが大阪でやっている『ショコラトリ・パティスリ ソリリテ』の売り上げをうちに寄付してくれたり…。業界の先輩たちも、オープン用に配るお菓子を提供してくださるなど、全国各地、いろんなお店が協力してくれました」
毎年のケーキを楽しみにしてもらえているので、クリスマスまでには間に合わせたい。そう考えて努力し、12月23日に再オープンを果たした。
山田脩二さん撮影によるポスター
「お客様もたくさん声をかけてくださったり、地元の中学生が掃除を手伝いにも来てくれたり…。大変な経験でしたが、同級生や先輩方、お客様とのつながりを強く感じる、貴重な機会にもなりました。つながりの大切さは、今年(2020年)のコロナ禍でも改めて実感。ゴールデンウィークも予約だけにしたんですが、たくさんご注文をいただけて…。皆さんの愛情を忘れないようにしなければと、身の引き締まる思いでした」
経験を通じて、人を大切に想う気持ちが強くなってきたと感じるという相森さん。現在は後進の育成にも尽力。スタッフの成長が自分の喜びにもなっているという。
「今まで自分が学んできたことをスタッフに教え、商品開発も依頼するんですよ。おいしいケーキができると、ものすごくうれしいです。彼らが今後、独り立ちすることを思えば、かつて自分が学んだように、ときには厳しいことも言わなければなりません。そこに葛藤はありますが、休業中、他店で研修させてもらい飛躍的に成長したスタッフが、『教えてもらえたことが役立った』と言ってくれ、救われた気持ちになりました」
「努力の結果は必ず返ってくるもの。挫折しながらも諦めずに続けてきたからこそ、人のあたたかさに助けられ、いま、楽しく仕事ができています。お菓子づくりは楽しく、素晴らしい仕事です。若い人たちが夢をもてるよう、その楽しさもつないでいきたいですね」

相森真一さんの卒業校

辻󠄀製菓専門学校 launch

辻󠄀調グループ フランス校   製菓研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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