INTERVIEW
No.169

おいしいお菓子づくりはチームワークがあってこそ。ここを巣立っていくスタッフが立派なパティシエになってくれたら何よりうれしい。

アルカション オーナーシェフパティシエ

森本 慎さん

profile.
東京都出身。東京都立杉並総合高等学校から現在のエコール 辻󠄀󠄀 東京 辻󠄀󠄀製菓マスターカレッジに進学。辻󠄀󠄀調グループ フランス校を1996年に卒業後、東京・吉祥寺のパティスリー『レピキュリアン』に就職。約2年間の修業を経て、神奈川県小田原市のパティスリー『ブリアン・アヴニ-ル』へ。約4年間の経験を重ね、2002年に渡仏。アルカションのパティスリー『マルケ』などで研鑽を積み、2005年に東京・保谷にパティスリー『アルカション』を開業。2016年には練馬駅にも販売店をオープン。
access_time 2023.09.22

生活の一部として気軽に立ち寄れる、暮らしに根づいた地域密着型のお店へ。

東京都練馬区。西武鉄道・保谷駅のほど近くにある『アルカション』は、日常使いのお店としても愛されている地域に根差したパティスリーだ。生菓子や焼き菓子、パンやキッシュ、チョコレートやアイスクリームなど幅広い商品を販売し、イートインスペースではランチも提供。伝統的なフランス菓子をベースに、いつでもどんなときでも食べたくなるようなお菓子づくりを志している。オーナーシェフを務めるのは、森本慎さん。
「フランスではお菓子が毎日の暮らしに根づいています。そうなれるよう、生活の一部として気軽に立ち寄れるお店をめざしました。スタッフ全員が、単純な作業も手を抜かずに、基本を守りながら、当たり前の事を当たり前にやり続けています」
『アルカション』という店名は、フランスのボルドー地方にある小さな港町の名前。森本さんが修業をしたパティスリー『マルケ』のある場所だ。
『マルケ』のスペシャリテ(看板商品)のデュネット
「デュネットは『マルケ』のスペシャリテ(看板商品)。日本でつくることを許されているのは当店だけです。ボルドーの代表的なお菓子であるカヌレは受け継がれた伝統的な製法で忠実に守っています。お届けしたいのは、何百年経っても皆様に変わることなく愛され続ける、おいしいお菓子です。それも自分一人ではできません。仕事をしていくうえで、意思疎通は重要です。スタッフが何を思っているのか。できるだけ引き出すためにも、普段からコミュニケーションをとるように心がけています」

好奇心があれば学ぶ意欲もわいてくる。製菓の謎が解明できるのが楽しかった。

1975年、東京都練馬区生まれ。高校を卒業したら手に職をつけたいと考え、パティシエの道を選んだ。
「甘いものに限らず食べることが好きだったので、料理人とも迷ったんですが、素材が全然違うものになるお菓子のほうが興味をそそられたんですよね。そもそもシュークリームがなぜ膨らむのかもわからない。イメージがつかないことへの好奇心が決め手になりました」
学ぶにあたり、実習メインのカリキュラムや、2年目にフランス校への留学も可能なことに惹かれ、現在のエコール 辻󠄀󠄀 東京へ。オープンキャンパスでは初めて製菓の面白さにふれ、「こんなにおいしいものが毎日つくれるのか」と心が躍った。
「親からは好きなようにやれと言われましたが、学費の面で相当な負担をかけていることはわかっていたので、生半可な気持ちでは取り組めない。1日も休まず通いました。もともと手先が器用な方ではないので、実技はあんまりでしたが、先生から『現場に出て長く勤めれば誰でもできるようになるから、焦らずコツコツやればいい』と言っていただけたので、諦めないで頑張ろうと努力を続けました」
一方で、筆記テストの成績は上々だった。お菓子について学ぶのは楽しく、謎が解明できる面白さも味わえた。
「高校までちゃんと勉強してこなかったんですが(苦笑)、好奇心がわくと学ぶ意欲もわくものなんですね。とても真面目に授業を受けていました。理屈がわかると、『こう仕上げたいなら、こうすればいいのでは』といった応用も可能です。働き始めてからも、仕事を覚えていくことはすごく楽しかったです」
フランス校時代 寮の自室で

ケーキが生活に根づいてると実感できたフランス留学。日本での再現が目標に。

1年間の課程を経てフランス校へ留学。一日中お菓子のことを考えて過ごす環境がとても良かったと振り返る。
フランス校時代
「クロワッサンなど朝食の用意から始まり、昼間はレストラン形式の実習、夕食ではデセール(デザート)の用意などもあり、その後は翌日の実習の準備…と、本当にお菓子漬けの毎日。モチベーションの高い学生が多かったのも刺激になりました。フランスでは食後にデセールを食べるのが当たり前。食べ歩きにも行きましたが、本当にケーキが生活に根づいてるんだなと実感し、憧れを抱きました」
約半年後からは現場での研修へ。ノルマンディのパティスリー『レイナルド』で半年近く実務を経験した。
フランス ノルマンディの研修先『レイナルド』で 右端が先輩で後の『ピュイサンス』の井上(佳哉)シェフ
「仕込みの作業が多かったんですけど、エクレール(エクレア)などをつくらせてもらえたんですよね。併設された中庭のようなところで、フランス人のお客様が僕のつくったエクレールをおいしそうに食べている。それを見たとき、とても嬉しくて感動した記憶が強く残っています」
フランス『レイナルド』での研修時代 近くの川で釣りも楽しんだ

一時は諦めかけたものの、やっぱりお菓子が好きだと再認識し、奮起できた。

1996年2月の帰国後は、東京・吉祥寺の『レピキュリアン』に就職。伝統的なフランス菓子を提供する、オープンしたばかりのパティスリーだった。
「『レイナルド』もそうだったんですが、目新しいお菓子よりもトラディショナル(伝統的な)なフランス菓子が好きだと留学中に気づいたんですよ。それで紹介を受けて入ったんですが、妥協を許さないシェフの要求に応えるのが難しくて…。2年間は頑張ったんですけど、その厳しさに燃え尽きてしまったんです」
これがパティシエの世界なのであれば、自分には無理かもしれない。一時は業界そのものを諦めかけた。実家に戻り、食から離れた仕事を始めて半年ほどが過ぎたときのこと。
「親から、もう一回チャレンジしてみて、それでも駄目なら考えてみたらと言われたんです。ここまでくるのに学費も出してもらっていたし、そう簡単に諦めるわけにはいかない。一度この世界から離れたことで元気も取り戻せましたし、やっぱりお菓子が好きだと再認識できたので、次の修業先を探し始めました」
こうして当時、神奈川県小田原市にあったパティスリー『ブリアン・アヴニ-ル』に再就職。
「ここでも怒られはしましたが、全然平気だったんですよね。自分の成長もあったでしょうが、一度厳しい世界を経験したことで、どこででもやっていけるという自信もわきました。最初のお店であれだけ厳しく指導してもらえたことで根性がつき、結果、とてもいい経験だったと感じています」

フランスの修業先でチームみんなと仲良くなれ、オンもオフも楽しめるように。

『ブリアン・アヴニ-ル』では、徐々にさまざまな担当を任せてもらえるように。自分でコントロールできるようになると、仕事がどんどん面白くなっていった。
「一日の流れを組み立てて、スタッフに指示を出し、それに合わせて動いてもらう。自分中心に職場が回ってきていることを実感できると、すごく楽しくなっていったんですね。人から教わるのも好きだったんですが、それを自分が教える立場になると、責任感とともに充実感も増していきました」
およそ4年間で、生菓子や焼き菓子はもちろん、パンやチョコレート、ソルベなど、一通りの仕事を経験。再び本場へ行って修業をしようと、2002年にフランスへと渡った。
「学生時代の研修中から、自分が指示できるようになってから、もう一度来たいと思っていたんですよね。日本から来ていた先輩に紹介してもらい、チョコレートやアイスクリーム、惣菜なども幅広く手がけているお店で8カ月ほど経験を重ねました。ただ、常に日本人の受け皿があるお店だったので、そうではない環境を紹介してほしいとオーナーにお願いし、仲介してもらったのが『マルケ』だったんです」
海沿いのアルカションは、バカンスで人が集まるリゾート地域で、夏はとても忙しかった。しかし昼頃には仕事が終わるようなサイクルで、ほぼ毎日、海で泳いで遊んでいたという。
『マルケ』の先代オーナー(左)と現オーナー(右)と
「ここでの生活が楽しすぎちゃって(笑)。いいチームで居心地が良かったんですよね。仕事もプライベートも楽しむ仲間と、遠出もしたりとすごく仲良くなれて。フランスは日本と違って、オーナー以外みんな横並び。アプランティ(見習い)がシェフのこと呼びつける場面もあって(笑)、風通しがいい。僕からスタッフに技術を教えことも多く、『あいつを見習え』とも言ってもらっていましたし、責任ある仕事を任され自信にもなりました」
『マルケ』のシェフや仲間たちと

「経営はやりながら覚えていけばいい」。先輩たちの後押しもあり独立開業。

およそ2年働き、帰国の半年ほど前からは、近くのレストランで料理も経験。
「キッシュなどのバリエーションも増やせるだろうし、お店を開いたときに何かしら活かせればいいなと考えたんですよね。前菜から肉料理まで、すべて回らせてもらい、合計3年くらいのフランス生活を終えました」
帰国後は、どこかにシェフとして雇ってもらい、経営についても学んでから独立開業しようと考えていた。
「お金もなかったですしね。だけど親の知人から借りられるアテができたんです。いろんな先輩に相談したら、こぞって『経営はやりながら覚えていけばいいから、すぐに借りて開業したほうがいい』と」
「なかでもフランスの研修先『レイナルド』の先輩だった井上(佳哉)シェフには、『雇われシェフとして、どういう商品が売れるかシミュレーションをしてからのほうがいいのでは』と訊ねたところ、『売れ筋を気にするなんてつまらない。フランスで勉強してきた知られてないようなお菓子をつくれよ』って言われて。シェフが開いた横浜の『ピュイサンス』が、独自路線のフランス菓子を提供するすごいお店だなと思っていたので、その後押しを受けて決意しました」
後にマダムとなる理英子さんも同じ練馬区出身だったため、出店場所は同区で探すことに。半年ほどで準備を進め、2005年3月、保谷駅前のテナントに入る形で『アルカション』をオープンさせた。
「想い描いていたのは、パリのブティックのようなスタイリッシュお店ではなく、いろんな商品が並んでいてお客様に親しまれる、フランスの片田舎にあるようなお店。30歳になる1週間ほど前に、オープンへとこぎつけました。デュネットは『マルケ』のシェフに直談判して許可を得たんですが、初めて出会うおいしさに喜ばれることもうれしく感じています」

どうすれば楽しみながら仕事を続けてくれるか。そのために何ができるのか。

2010年の移転を機にイートインスペースも設け、ランチもスタート。アイスクリームも始めるなど、品数を増やしていった。2016年には練馬駅にも販売店をオープンさせ、順調に人気を高めていくが、森本さん自身、余裕のない年月が続いたという。
「最初の頃は売上げを伸ばすことにも必死だったので、スタッフへの気遣いも足りていませんでした。それでも回せていたのは、2008年から9年以上も勤め、二番手としてみんなをまとめてくれていた、古屋(健太郎さん)の力が大きかったんです。彼が卒業したことで、チームワークの様子に変化が生じたことが大きな転機になりました」
従来以上にスタッフの育成やチームづくりを意識するようになり、一人ひとりと向き合うよう心がけた。こうして徐々に新しい体制ができあがっていくうちに、ふと意識が変わったという。
「お店を大きくしたり、店舗を増やしたり、売上げを伸ばしたりは、もういいかなと思ったんですよ。いいものをつくって現状を維持できれば充分だと気づけたことで、心が穏やかになれたんです。その分、育てることに力を注ぎ、それを楽しめる余裕も出てきました。生活の大事さに目を向けられるようになり、現在では、休日はもっぱら釣りへ。フランス時代の楽しさがよみがえってきました」
2人から始めたスタッフも、今では10人以上になった。現在では、若いスタッフに新しいことを教えたり、彼らの成長を感じられたり、楽しそうに仕事をしてくれていたりすることが、何よりうれしいと森本さんは語る。
「どうすれば楽しみながら仕事を続けてくれるか。そのために何をするか考えるのがメインになってきてます。古屋が2022年に独立開業し(東京・小金井市に『パティスリー ブーランジェリー アルタナティブ』)成功してくれているのが、僕にとっても、ものすごく嬉しいこと。近頃は、自分が引退するまでに、どれだけのパティシエを育てられるかがモチベーションになってきています」
「これからめざす人も、目標があるなら、頑張って続けてほしい。僕もそうでしたが、苦しみや壁には必ずぶつかります。悩むのが当たり前です。今見えている世界がすべてではないので、そこを乗り越えて、夢をつかんでください」

森本 慎さんの卒業校

エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ  (現:辻󠄀調理師専門学校 東京) launch

辻󠄀調グループ フランス校   製菓研究課程 launch

辻󠄀調グループ フランス校

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